かつて私が映像の制作会社に勤めていたときの同期の仲間が恵比寿で、小さな会社を独りでやっていた。
その彼は、一時期は、5-6人程度の社員を抱えて、
小さなブティックプロの社長だった。羽振りの良かった時期もあった。
社員と不倫もしていたことを打ち明けられたこともある。
独りが抜け、二人が抜けして、そして彼だけになったらしい。
「金の切れ目が、縁の切れ目」太宰治が「斜陽」か何かの作品で、
(たしか「斜陽」だったと思うが、正確な話ではない。)
「縁の切れ目が、金の切れ目」の故事を倒置して、
自虐的に言った引用した言葉を、ふと思い出す。
彼とても、スタッフを傍に置いておきたかったろう…。
だが、その彼も、新陳代謝の激しい世界で生き残るのは、必死だった。
恵比寿の安い店で飲もうと、彼を訪ねて行ったときに、
およそ、PCなどは、小ばかにする筆頭で、無縁そうなこの友人が、
やはりそれなりにPCに精通していたことには驚いたものだ。
ついでに言うと、この彼のマンションの一室のオフィスで、トイレに入ると
とてもキレイに磨かれていたときも、驚いた。
そのことは、私も影響を受けた。トイレはきれいにしようと。
友人の話で、脇道にそれたが、話を元に戻そう。
私においては、
それでも、何とかギリギリ喰っていけるだけの仕事だけはあって、
母が他界してからのほぼ10年を、どうにかやり過ごした。私の毎日は、
どこかで、飲んだくれていることが、日常にもなっていた。
今後を見つめ、どこか不安と虚しさを肩に背負って、
華やかな女性たちのキャバクラやパブにも、出入りすることも多くなった。
私は、たまたま地元にあったフィリピンパブに立ち寄ったのだ。
もう少し、正確に言おう。
その店に入る前に、私の後輩と、地元で、酒を呑んだ。
彼の友人も誰かいたように思うが、思い出せない。
この後輩も、やはり独立して、小さな会社を立ち上げていた。
本人は、社長ではなかったが、中心的なプロデューサーの一人だった。
彼からは、企画の仕事を何度かいただいた。そのお礼を兼ねて、
私が接待したのだ。
その彼らとの飲み会の二次会で、フィリピンパブに入ったのだ。
私の後輩は、歌はうまくないのだが、カラオケが好きで、
その店の舞台に、上がって、何かの曲を歌っていた。
フィリピンパブと言っても、いかがわしい場所ではない。
一部、中部地方のパブで、ピンク掛かった話が新聞でに賑わったこともあるが、
私の地元のフィリピンパブでは、そういうことは、なかったと信じている。
比較的健全に営業されていたと思う。
私は、興味本位で、後輩たちとその店に入った。
そこで、名前は覚えていたないが、一人のフィリピン人と出会った。
おとなしい感じの女性で。その後、1-2度、その店に行って、指名をし、
横浜の中華街で店外デートもした。
印象としては、日本人女性より、悉く面倒がないという意味でラクだった。
その女性から、フィリピンに残した、子どもの写真を見せられた。
目のパッチリした可愛い男の子の写真だった。
「うーん、そういうものか…」と、複雑な心境があった。
それからしばらくして、また、店に行くと、そのフィリピン女性は、
居なかった。すでに、国へ帰っていたのだ。
というより、帰されたということか。売上げが厳しい。つまり指名がないと、
本国に戻されるのだ。
しばらくぶりで、その店に来て、ちいママに指名すると、
「イナイヨ。カエッタ」という返事。その代わりとして、
出会ったのが、今の私の彼女だ。