貧乏自慢
彼女と二人で話すということは、そう頻繁にはない。子どもたちがなかなか静かにならないので。もっとも、お互いのことは、すでに機会あるごとに話をしていた。今回の訪比は、短く、あっという間だった。正直、この日どんな話をしたかなどは覚えていない。すでに8年以上前のことなので。
とはいえ、それぞれに、人生を生き抜いてきて、そのポイント、ポイントで、心に残ったことはビールを手に、ベッドに横になりながら、話したことはよくある。夜に限らず、昼間でも、ちょっとしたタイミングで、昔を振り返ることがある。
その彼女の話と私が子ども時代に体験したことで、共通したことがある。ある印象的な事をここにあげておこうと思う。それは、一言でいうなら、今よりずっと貧しかったころのことだ。それは、食べ物についてだ。貧しかった時代のことなら、私は、充分話の素材はある。その食べ物話が、あまりにある意味共通しているので、共に笑えた。
彼女の日本語が、充分でないので、どうしても想像になる部分もある。こちらから、こんな感じと聞き返すと、説明が面倒くさいのか。「オォッ!」とか「ソウ。ソウ。」とかいう返事が返ってくる。
彼女の子ども時代
彼女の話によれば、今は、お父さんの田舎だが、マニラで子ども時代を過ごしたという。お父さんが、漁港で魚の卸のような仕事をしていたらしい。オニイサンたちも、みなその卸のようなことを手伝っていたようだ。ここは、あまり定かではない。彼女のたどたどしい日本語で、聞いているので、実際は少し違うかもしれない。
ともかく、漁港で生計を立てていたらしいが、ビジネスとしては、うまくいってなかったらしい。彼女の学歴は、学校どころでなく、日本で言う、小学校も、そのあとの中学校も、そこそこの出席しかしていないようなニュアンスだ。というより学校の勉強が嫌いだったという。早く仕事につき、家のために働きたかったらしい。
そんな子ども時代が彼女の少女時代に背景としてあると思っていただきたい。
ある時、彼女が私に話したことがある。ご飯のおかずがないときは、コーヒーがおかずになったときがあるって。「え、なにっそれ?」と尋ねると、彼女が説明をした。「ゴハン 二 コーヒー ノ コナヲ イレテ オユ カケテ」食べるのだそうだ。早い話が、コーヒーかけご飯だ。Kapet kanen(カピット・カーニン)という名で呼ばれている。
「え、ソレ おいしいの?」と尋ねると、「オイシイヨ スゴク!」という話だった。フィリピンでは、一回で飲み切りのミルクと砂糖が適量に入っているコーヒーの袋がある。それをごはんにかけ、お湯を足すのだという。その写真が、このページに添付したものだ。
私の子ども時代
この話を聞いて、私の話をした。私は、3-4歳ぐらいの記憶がいまでもある。その子供時代に貧しさというものが、どれほど深刻なものかは、その年齢では、分かるはずもない。ただ、母から差し出されたご飯には、精製する前の、茶色い砂糖が、2サジ分ぐらいのっていて、甘いごはんを食べていた。ほぼ毎日のように。
そのご飯が、ときどきうどん粉を練ったものにとって代わり、油を敷いたフライパンの上で、丸く平べったくしたものを、どんどん焼きだと言われ、そこに茶色いお砂糖をつけて食べたのは、よく覚えている。私のおやつだった。
それらの事実は、家が貧しいためにそういうおかずだったりしたことなど知るはずもなく。その時代が心の奥に懐かしい記憶として蓄積されていることを財産だと思っている。母に感謝している。貧しさを貧しさだと充分認識することもなく、ただ体験した子ども時代を、今は感謝している。皮肉でも何でもない大まじめだ。
ただ、その記憶は、実は、私が豊かになるための心の浄化には、阻害にはなっても、それ以上には、何の役にも立たない。
私の子ども時代に、お砂糖が乗ったものから、ピンク色のでんぶに変わることは、たまにあった。おかずらしいものが出たのは、それから数年後のことだ。小学校に上がるころだ。私は、彼女のコーヒーかけご飯の話を聞いたとき、「マッチャンも、子どものころ、そんな感じだった」と伝えた。
彼女と出会えたことに感謝の乾杯
私は、彼女の子ども時代の貧困を何度か聞いているので、どこかで、彼女に共感できる部分があるのだなと思ったものだ。
今夜のPasayでのラストナイトは、二人でビールを乾杯した。彼女と出会ったことに、心から感謝だ。ありがたいと思った瞬間の夜だ。私は、彼女を幸せにする責務を負っている。
いまもって、貧しくても。それでもその心意気だけは、変わらない。いつまでも。
☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ
フィリピン女性とうまくやっていくコツ?
[su_note note_color=”#fffad9″ radius=”6″]私にそんな資格があるかどうかわからないが、彼女と出会って15年以上、仲良くやっていけてるコツのようなものは分かっている。それをあえて言うなら、彼女の生きたいようにやってもらうことだ。こちらから注文は一切、付けない事だと思う。意見は言ってもいいが、押し付けない。
そして彼女の生き方や考え方をリスペクトすることだろうと思う。自分と考えを同じにしようなどとは、一切思ってはいけない。それは相手が日本人女性であっても同様だろう。共に一緒にいて、居心地が良いなら、それで充分。それ以上に、自分の思うとおりに彼女を変えようとはしないことだろう。それは、すれば傲慢というものだ。 [/su_note]