【フィリピン訪問記】叔母の死を知りそして思う #19-0049

現実について

私と彼女をつなぐskype

私が、2012年11月初旬にフィリピンから日本に戻って、
毎日、昼過ぎには、skypeでTV電話している。これは、日課になっている。
これからも、ずっと日課だ。そうやすやすと、フィリピンに行くことができない私にとっては、
生の彼女と顔を見ながら話ができる唯一の手段になっていた。

それだけでも、PCを買ったり、インターネットの接続環境を整えた価値が十分にあった。
彼女もまた、前回、ブラカンに行って、昔お世話になった親戚筋の方と、インターネットを通じて、連絡のやり取りをしていると話す。

私たちは、毎日、skypeを通じて、少しでも話をするよう心掛けている。とにかく、電話代が、激安になったことは、ありがたい以上の感謝だ。とにかくインターネットの月額代だけで、通話料は不要だし。しかも、テレビ電話なので、表情も見られる。skypeに感謝だ。感謝しても足りないほど、大感謝だ。

彼女から叔母の死を聞かされる。

そんな一週間ほどが過ぎたある日のことだ。彼女のお母さんのお墓参りをした際の帰りに、叔母に会いに行ったが。叔母が、息を引き取ったということを、彼女から伝え聞いた。
それを聞いて、胸にぐっとくるものがあった。そして叔母の小さな家のことを思い出した。天井は、ほとんど私の背丈を少しばかり高くした程度しかない。全体に、とにかく小ぶりだ。

窓らしきものは、一つしかなく。その下のミカン箱を二つ並べたほどの小さなベッドに、かろうじて横になって、ただただ、神から許しを乞うように、その時をまっている叔母の姿が思い出された。もはや人生の終わりに、何もなくても、人が訪ねてきたら、乱れに乱れた白髪頭を撫でつけてまだそのささやかな気負いを正そうとする姿を思い出して胸が詰まった。

☆信仰はなくても神との契約だと思うこと

人の貧しさは、誰のせいでもない。もちろん、当人のせいでもない。いや正確に言えば、当人が、人生の選択において、学びとして自ら臨んだものと言えるかもしれない。だとしても、何もして差し上げられないそのことにおいて、罪悪感を抱くのは、不要なことがら心苦しい。彼女の叔母であることを思えば、何とかして差し上げたかった。

もちろん、それは、神と本人との合意の上での終末のストーリーであるので、私のように考えることは、本来、無用なことなのだが。それでも、ただ、そう割り切って思っても。切なさが残った。

私は、彼女のその言葉を聞いて、そんな思いをグダグダと抱いた。

私は、彼女の叔母に会ってよかったと思っている。叔母の死の間際に、ささやかながら、「幸多かれ」と願えたことを、感謝している。

skypeは、ありがたいサービス

skypeに何を思う…?


skypeについては、かなり前から知っていた。だが、2000年にインターネット元年と呼ばれ、普及が始まったが。それから、数年後には、画像処理の3Dなどが言われていた。しかし、ネット環境もそうだが。PC環境は、まだまだだった。2000年代初期には、これから起こる技術革新の様々なデモが紹介された。しかし、それはやがて来る未来の先取りを見ることだったが、技術の裏付けを支えるインフラの整備があっての話だった。私が、skypeで、初めて彼女と話をしたときは、感動した。普通に話ができるそこまでに、約10年を要した。待ち遠しかった。
インターネットは、さまざまな恩恵をもたらしているし、これからも飛躍的に、新しい技術を展開するだろう…。だが、その日が待ち遠しい。ショートカットできないものだろうか。とふと思う。skype:
https://www.skype.com/ja/

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