夢見心地☆いま、起きている事 ★19#0106

hiroba フィリピン-ピリピン

かなり強引な路線変更を、人生ラインが用意しており、安っぽいドラマのように、運命のシナリオに翻弄された。
ピザパーラーで働いて、9か月目に、私は、右足首付近の骨膜炎で入院することになった。

余命1年とまで院長に脅かされながら、半年ほど入院した病院で、なんと有名広告代理店の方と出会った。病院からは、悪性、良性のどっちつかずのうちに、半年が過ぎ、病院を退院した。
それから、骨膜炎は、なんともなかった。ここにも、引き寄せの法則を感じるのだ。

かなりのカッコマンの彼には、実際は、なんの力もなかった。いくつか、業界への足掛かりを私のためにつけようとしてくれたが、全くダメだった。
たとえそうであっても、私には、表面上は、こんなカッコマンになろうと私は憧れた。

その人物は、当時、俳優の原田芳雄氏に似た、かなりカッコイイ人だった。
私には、ただ憧れるためにだけ現れた人のようだった。そして、私は、自力で、
CM会社の募集を引き寄せた。そして、下積みを経験した。

どうしても映像ディレクターになりたかった私は、会社をはじき出され、その後、数社を経て、
フリーの企画・演出家になった。しかも、それが結果、会社勤めよりも、不安定なフリーの生活が、水を得た魚のように、どんな職場よりも、私を生き生きとさせてくれたのだ。有難い話だった。

いろんな意味で、うまくいった。当時、私は引き寄せの法則を知らなかったので、
ひとつの不安の影を見つめ、フォーカスし続けて考えていた。

それをお知らせしておきたい。
それは、つぎのような思いだ。

   「いづれこの暮らしも先細りになり、厳しい時を迎えるに違いない。」

まるで浦島太郎がしたように、こんな楽しい生活ばかりしていていては、
いけないと勝手に考えたのだ。愚かにも。

その考えは、冒頭の引用で言うなら、

 「何ごとであれ、あなたが考えていることが、あなたに引き寄せられてくるのです。」
(「ザ・シークレット」ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)p19より引用)

ということになった。
そう考えていたために、私は、その通りになりつつあった。
はっきり言っておきたい。私は、その通りに考えず、極めてノー天気で、
そのままカッコマンで居られたら。

まだ、まだうまく業界を渡り歩いていたかもしれない。多分、その通りになった。
しかし、

「中途半端に聡明な私は、そうは、考えなかった。」

これからは、PCの時代だと、思ったのだ。そう思ったあたりから、
私の映像制作のスタイルも変わり始めた。気が付くと映像をリニア編集していたり、
イラストを描いていたりもした。そのような絡みで、コンピュータの仕事をする機会が
多くなったのだ。

それを今思えば、やはり、私がそう考えたとおりなのだ。
私に先見性があったのじゃない。

「引き寄せの法則」的に言えば、私がそうなることを、自分に引き寄せていたのだ。

そう確信できる。

このブログを読んでいただいている方たちも、一度と言わず、
何度でもご自身を振り返るといい。何らかのカタチで、自分がそうなるよう選択して、
導かれてきているはずだ。

私たちは、自分の思い描いたなりたいものになっているのだ。
誰かが、背中を押して、そこへ行けと、そうなったのじゃない。
どこかで、
それを必ず意識した時期があって、それが現実化しただけなのだ。

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