【フィリピン訪問記】彼女の信仰心 #19-0017

信仰心

彼女は敬虔なカトリック信徒

以前のブログでも触れているが、私はロシア文学が好きで、特にドストエフスキーの著作を熱心に読んでいた時期があり、その影響下で、西欧の諸国ばかりでなく、世界的にも宗教心を持つ人々がいることについて、特別な違和感を持つということはなかった。どちらかと言えば受け入れる側のタイプで。

それは私自身の量子論な概念とその興味に重なる部分がある時にのみ、受容する部分が働くことがあるという意味である。私自身は、現時点では無宗教だし、これからもおそらくそうであろうと思う。それでいながらキリスト教的な奇跡を信じる部分もある。

もっとわかりやすく言えば、私は目に見えない存在がこの世界に確かにあり、この物理的現実にピッタリ向き合う存在、つまり鏡の向こうとこちら側のようにそれがあると確信している。それを説明することはできない。ただ私はそう強く確信している。もう少し分かりやすく言えば、私自身スピリチュアルな存在でそれを受け入れているとしておきたい。

その意味において彼女が信仰心を持っていることを崇高だと思っている。そして彼女を見ていると、彼女の置かれている現実をよく観察すると、彼女には、信仰が必要なのだと感じることがよくある。

そして彼女は、私が落ち込んでいるときには、ポジティブな言葉を彼女の信仰の信念に基づいて、私を励ましてくれることはとてもありがたいと感じている。彼女が私と一緒になってネガティブな言葉を吐かないことはありがたい。彼女は、彼女の信仰のままにただ在ればいい。そうあってほしい。私は、彼女の信仰心を無条件に支持している。

彼女は彼女のままに

彼女は、一日に少なくとも、2-3回程度。十字架の前に立つ。そして簡単な祈りを子どもたちや私のためにささげてくれる。彼女の気持ちは、利他主義だ、自分は二の次、三の次で、常に人の幸せに祈りを捧げている。そんな人が私の傍にいてくれるだけで、ほんとうにありがたい。

ただ3人の子どもたちは、現代っ子で、マミーほど信仰心はとてもないようだ。そして、もう一つ。私自身は、2017年から急激に、ネット通販ビジネスでの収入を失うなど、大きな痛手を被った。なかなか、人生が好転しない。すでにビジネスの一部はあきらめ別の生き方を模索している。だが収入的には今なお激減し厳しい中を耐えている。

そんな中にあっても彼女は、文句を言わずに、私を信じてくれようとしている「何があっても、マッチャンについていく」その言葉はありがたい。しっかりしなければと身につまされる。まだチャンスはある、これからだと思うようにしている。彼女に感謝だ。私はフィリピン人の人柄の良さや考え方を感じてほしいと思い、このようなブログを始めた。

☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ

フィリピンの宗教は、何教が多い?

フィリピンでは、国の8割の人が、教義の厳格なカトリック教徒だと言われています。残りの5パーセントぐらいが、イスラム教で、さらにその他が別のキリスト教だとされています。

アジアでも、唯一と言っていいほど、フィリピンは熱心なカトリックの信者だとか。その理由は、スペインによる植民地時代の統治の影響を強く受けているからだともいわれています。

教義の厳格さは、離婚は認められておらず、避妊や人工中絶も禁止されています。そのために子どもが多いようです。

9月には、クリスマスシーズンが始まります。

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