フィリピンからの3回目の日本へ帰国 2011年版 #19-0038

makati-homen 帰国

帰国の午前

彼女との会話も少なくなる。今回、記述していなかったが、今までと大きく変わった点があった。彼女が、やや太ったのだ。なぜ、彼女が太ったかは分からないが、5-7キロぐらいは増えただろう。実は、彼女の体重は、良く変動した。私が、2007年に再会したときは、前回だが、やけにスリムになっていた。

それは、彼女の肝臓が弱いことが影響しているらしい。なのに、ビールをよく飲む。このころは、実にスリムで、いい感じだった。と同時に、彼女から、十代だったころの写真を見せてもらったこともある。その時は、モデルのようにスリムで、写真の上では、顔も、どちらかと言えば、フィリピン人というより日本人ぽい顔に見えていた。

ところが今回、少し太ったな…と感じた。2007年ときは、体調を崩していたらしい。その後、回復しつつあったようだが。彼女の場合は、体重の増減が少し極端に振れるところがあるようだ。このころは、しばらく「レバー ガ」という言葉をよく口にしていたころで、はっきり言わないが、体調としては、あまり万全ではなかったのかもしれない。

いよいよ出発だ

話が、反れたが、なぜかそんなことを今ふと思い出した。その彼女と3泊4日だが、それなりに楽しく過ごした。そして、今日、間もなく日本へ戻る準備をしていた。前回、彼女の実家のNavotusから空港に向かったとき、やや渋滞に巻き込まれ、不安になった経験を思い出す。「もう、出なくて大丈夫?」時計は、11時を回っている。

今日私は、空港に行くが、家族たちは、このホテルを出て、彼女の実家のNavotusに、数日、宿泊するとのことだった。ホテルを出るためみんなで整理していた。その荷物と言ったら、かなりあった。というのも、モールに行った時の買い物品やら、田舎から持ってきたお米なども、多数あったからだ。

私たちは、みな1階ロビーに降りた。そして彼女が清算を済ませている。この瞬間は「あー、いよいよだな…」と思う。クロークの私たちの知り合いとも、「またね!」と
別れを告げた。彼女が、ドアマンに100ペソ紙幣を渡すように差し出した。「アナタガ シテ」という。さりげなく渡すと、ドアマンは、一層親切に私たちにタクシーを呼んだ。

フィリピンの可能性を感じた

来たのは、ボックス型のタクシーだ。後ろの席に子どもたちやおばさん、甥っ子などが向き合うように座っている。私の左隣に彼女。右隣に長女がいたようだ。タクシーは、ロハス通りに出て、その後、昨日来た教会を少し過ぎた先を左にまた曲がった。このころは、SMモール側は、建築予定のものが、まだ手付かずの空き地の状態が広大に広がっていた。

ここでビジネスができ、高層のマンションに住むことができたらいいな…と、野心を抱いたが。資本どころか、ひとり法人のネット事業が破綻しつまづいている私が、そう思うこと自体が臆面もないことだと感じた。だが、私の状態がどうあれ、ここは、きっとよくなる。そう予感させるものがあった。

だが、いま見ている風景は、私の日本の現在の生活のように、未来が予感できないばかりか、殺伐した風景そのものだった。

私が泣くのを期待している彼女

このフィリピンでは、土地勘の全くない私には、タクシーがどこをどう走っているか、全く見当がつかなかった。途中、大きな街を通り過ぎ、そこから間もなく空港へのみちとなった。過去2回、私が彼女の感謝の気持ちを伝え聞いているうちに、嗚咽したことを、どこかで期待しているのか。「マッチャン ナカナイデ」という。

「泣かないよ」と素っ気なく答えた。だが彼女からは私を泣かせてみたい雰囲気を感じた。泣くものかと気持ちを張って我慢した。やがてタクシーは、空港へ着いた。およそ20分くらいの感じだった。運転手は、やせこけた初老の男性だが、一見、顔つきは怖かったが、マナーもよく、かなり親切な人物だった。私の荷物を一生懸命取り出してくれていた。

私は、子どもたちに別れを告げた。一人ひとり抱いた。「元気でね」という気持ちだ。
彼女にも「じゃあ、また連絡するよ」と言って、空港内を目指して歩き出した。彼女を乗せた親切なタクシーは、私を追い越して、大きく左に旋回し坂を降りた。私は手をあげて、彼らの載るタクシーを見送った。

空港の中は、案外、整然としていた。そして、空港職員らが、意外にマナーが良いので、おどろいた。こういう態度で臨めばきっと、この国は良くなる。それは、間違いない。
飛行機の左側の窓からマニラ湾や市内が見えた。高層ビルも見える。「また、すぐ来たいな…」と思った。

☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ

SMモールのあるマニラ湾周辺の地域は開発が大いに進んでいる!

私が、帰りのタクシーで感じた、マニラ湾の広大な空き地は、驚くほど開発が進んでいる。SMからタクシーで5分くらい南下した地域には、カジノを抱き込んだOKADA MANILAという日本人の資本が入った巨大な高級リゾートホテルが出現した。

また、PasayからSMモールへ行く両サイドの土地はには、ジョリビーやファーストフード店が、乱立しているだけでなく、ホテルや、高層マンション群が広大な土地を埋め尽くしている。

ここにはきっと裕福な外国人らが、居住区として選ぶだろうということを感じさせるほど、美しい街づくりが計画されているようだ。私の予感は、当たった。あとは、鉄道や地下鉄が欲しいところだろう。それも現実化するに違いない。私は資産も何もないのに、ただ急がなきゃと思っている。

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