【フィリピン訪問記】 フィリピン行きと私の事情 2012年代 #19-0039

hiroba 人生のライン

フィリピンに移動するのは別次元へのシフティング…

フィリピンにいるときは、すべてが別次元のように感じる。自分自身さえも、別人であるのかもしれないと思うほど、気持ちは穏やかだ。今この時を感じることの大切さだけを感じることができるのに。何も考えなくていい自分がいるというのに。ところが、日本に戻るとどうだろう…。何か、一つの波が変わろうとしているのを感じた。

その波は、一つは経済的な波で、私が2005年に立ち上げたひとり法人の資格を終わらせるという決断をもたらした。私がお世話になったメーカーにも、激怒させるような未払いを作り暗い底を見ることになると思っていたが。私がある提案をして、それがメーカー側に受け入れられ、首の皮1枚で、少しおげさか。何とか乗り切った。

ただし、メーカー側への未払いの解消には、3年以上を要した。その間、ありがたいことに、メーカー側が我慢してくれた。私がしていたこれまでのネット通販のビジネスは、そのまま継続を許され、法人から、個人事業者へと転じることで、その難を回避することができた。売り上げも、堅調だった。

幸運の波と不幸の波があるということについて

結論から言えば、2015年および2016年の春までには、すべての債務も解消できた。これから新しく自分を再生すればいいのだと思った。その話は今ここですべきでないので。一度中断させていただく。ただ人生には、幸運の波と不運の波があって、私の人生の波は、2005年代は、不運の波に呑み込まれた最初の年だった。

そして、その不運の波には、色があるとするなら、どす黒い波だったといえる。その波が、2009年まで続いた。その波の色の周期は、3年分が一塊になり、次の3年で、グレーになり、その次の3年で、明るい色が混ざりだす。さらにより明るい色に変わる3年として、大きな周期を経て、戻ってくるようだ。振り子のように。

その黒い波がグラーデ―ションするように2011年、2012年、そして2013年へと少しつつ色を変え、黒からグレーの波に変わり、その色合いを薄くしつつあった。私は、このブログをただ体験的な自分史として書いているのではない。すべては夢見の中の出来事として、その中で見たもの体験したものをこのブログを通じお伝えしたいと考えている。

そして、その波の色の意味を探りながら記述したいと思っている。

私としては、もっともネガティブに事態が展開している真っ只中に、フィリピンへ行き、あらたな、そこに住む人々の人生を見るように命じられたごとくに。その中にポンと配置された感がある私は、この国では、まるで別人のようにこれまでの苦痛からは解放されていた。そのことを上記に少し触れて書かせていただいた。

一方で、すでに書いているように、私の日本での経済的生活は、厳しいものがあった。どこまでも長いトンネルの暗黒を彷徨っているようで、フィリピンの出来事が、別次元のように思えてならなかった。私と彼女の関係は、依然、毎日の電話を通じて繋がっていた。IP-phoneによって、それが支えられた。

時代は、数年先の進化をある程度、予測できるように、そのように進展していた。

そして2012年10月、彼女と会うためにまたフィリピンへ

今思っても不思議だが、私は、負債返済のために、パートをしていた。夕方からほぼ6時間のパートだった。そこは、ブラックと言ってもいいくらいの人権を軽視する経営体質の会社で、大きな公共施設の清掃係として務めた。何も、良い思いだなどない。

ただ人権が軽視されて、不当な扱いを受けた方がいるというのを、リアリティのない噂レベルの仮想のできこととし、私が情報を得た。私は、この公共施設の中で、膝間接を痛め、はっきり労災にしたくないので、やめてほしいと言われた。私は、ここにいることに何の意義も感じなかったので、やめることに躊躇はなかった。ただ生活が困ると思った。

私が、不思議に思ったことというのは、このパートの仕事を退職するほぼ1ヶ月前のことだ。右膝が、かなり痛かった。そして、それは誰の目にも、他所のチームの同種の仲間からも「足、大丈夫」と言われるほどに、膝をかばった歩き方をしていた。

そして、現場の所長から、露骨に嫌がれたが、フィリピンへ行きたいのでという理由で、ほぼ一週間の有給を願い出た。「難しい」と言われつつも、休みをもらった。このときのフィリピン行きは、10月30日から11月4日までの5日間だ。だが、これが結果的には、本社から首を宣告される決定的な口実の材料となった。

不思議なことは、実は、フィリピンで起きたのだ。

飛行機に乗り、フィリピンに着いた頃には、足の痛みに気付いていなかった。痛みがなくなっていたのだ。私が、フィリピンに行っている間のことを別次元という言い方をしているが。ここにその含みがある。フィリピンにいた間中。膝の痛みがあったことを忘れていたのだ。このことは、日本に戻って、後から「あれっ…」と思って気づいたことなのだ。

☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ

フィリピンの10月下旬は、比較的航空運賃が安い!

この度のフィリピン行きは、10月30日から11月4日だが、これは、フィリピンのハロウィーンの時期だ。日本で言う、お盆だ。死者を弔うという意味では、彼らの信仰は厚い。彼女と相談して、子どもたちが学校も休みになるので、休める期間ということで、この日時を選んだ。気候的にもよかった。暑すぎず。雨も降らず。 天気に恵まれた。

飛行機も里帰りする人も多いのか、そこそこの席が埋まっていた。そして、気になる航空運賃も一年を通じて、比較的安い時期でもある。この時期から12月中旬までは、フィリピン行きは気候的にもお勧めだ。

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