【フィリピン訪問記】忘れ得ぬ感動的な風景 part-2 #19-0013

人生のライン

首都マニラから北上

夕闇の中を私たちを乗せたワゴン車が、北へグングン進む。彼女にしてみれば、およそ6時間の車中を二度も経験していることになる。大変だな…と思う。私にとっては、初めてのフィリピンであり、しかも、彼女の田舎に向かっている。マニラは大都会であり、それなりに、都会育ちの私は受け入れが可能だ。なじみやすい。ところが、田舎というと、私には、固より田舎がない。

学生時代にちょっとした旅行などはしたことがあるが、それも、ある程度商業的に旅行者を受け入れている場所だ。それなりに、公共という誰にも受け入れ可能な、施設が整っている。ところが私が今向かっている先は、純然たる田舎だ。あとで聞いた話だが、日本人なんて来たことがないらしい。そんな場所だった。

フィリピンの生活スタイルになじめるか不安だった。

私は、かなりの神経質なところがあった。少年時代には、母を悩ませ困らせたこともあった。実は他人以上に、神経質というのは、本人がつらい。不潔なことろにはなじめないところがあるので。少年時代は、本当に病的なほど神経質だった。それが、成人してからはある程度、緩和されたが。それでも、受け付けられないものがあった。例えば公衆電話や電車のつり革に触れないなどだ。

つまり公共というものに、どうしても不潔感の概念があって、それは、矛盾したところも多かったが。完全には抜けきっていたなかった。しかし年齢を重ねて、その度合いは、かなり穏やかになった。そう自分を分析している。だけに、今車中の中で、半ば不安を抱えていた。うまくやっていけるだろうかと。

というのは、インターネットで、フィリピンの生活スタイルをある程度調べていた。その最たるものがトイレだ。かなり日本とは文化が違う。ここでは紹介しずらいので、省く。ただ、分かりやすく言えば、トイレでペーパーを使う習慣がないのだ。水栓トイレもない。その代わり水桶がある。これはどう乗り切ればいいのだろう…ということで、実は開き直った。それができた。

フィリピンのファースト・フード店

私は、ここへ来る前に、ある程度の覚悟を持って来た。生活習慣が全く違うということを。
その心の準備があったので、開き直るという決心がついた。そして、ある気遣いが彼女からなされた。私たちのワゴン車は、どこまでも北に向かっていた。そして、すでに時間は、19:30pm頃だった。ドライブインで食事をすることになった。

日本でも有名なフライドチキンの店があった。そこで食事することになった。私は、ホッとした。フィリピンの食事がなじめるかどうか不安だったので。いまここでは、フライドチキンだ。彼女と注文カウンターへ行く。ただやはり一部、日本のものとは違う。「ごはん」があった。

彼女は、いくつかのオーダーをバスケットで購入し、コーラーなどのソフトドリンクを人数分買った。全員で8-9人いた。彼女の小さい子どもたちは、私の前に座った。なんともかわいい子どもたちだ。そして、彼女から、ごはんが手渡された。この有名ファースト・フード店の包み紙に包まれた丸い形に包まれたご飯だ。ちょっとしたおにぎり状態だ。

困惑してしまったのは、このご飯に印刷の一部が、ごはんに染込んでいた。私は、この赤インクがどういうものか分からないので、その部分を除けて食べた。食事は楽しかった。彼女も嬉しそうだ。甥や2番目のオニイサンも、満足気だった。おそらく、滅多にこうした場所で食事はしないだろうから。

3つか4つあったバスケットはすべて空になった。みんな満足げだ。これからあと3時間程度また国道を走る。ドライブインは、日本のものと比べるとかなり小さい。しかし、多様で雑貨屋もある。彼女は何やら、買い物をしている。その時に、彼女の私に対する気遣いに気付いた。トイレット・ペーパーを1ロール買ってくれたのだ。私のために。

幻想の世界

このドライブインに40分ほどいた。そして、再び彼女の田舎に向かった。私は、彼女の気遣いが嬉しかった。ただ私の覚悟というのは、郷に入れば、郷に従うという覚悟でいたことだった。もちろん、そのことは何も言わなかった。ただ彼女にありがとうと言っただけだ。

私がこのブログに書きたいと拘っていたのは、この時にワゴン車の中から観て体験したある場所の風景だった。タイトルにあるように、夜の底にある夢見のような幻想的な世界を観たことだ。それを伝えたいと思っている。彼女の田舎は、おおよそ、日本でいえば、東京から名古屋くらいの距離にあるようだ。その道中の後半で見た風景だ。

国道は、一般道とそう変わらない印象の道路で、街灯は、日本の高速道路のように明るくない。街灯の本数はかなり少ない。従って暗い。今窓から見える風景は、夜の田んぼの風景だ。車のライトが、サーッと稲穂の上を掠めるように光が流れる。ふと向こうを見ると、100メートルに満たない山が幾重にも連なっている。その何にもない風景に、ポツンと教会が現れる。

暗闇の中で、教会だけが間もなく来るクリスマスを待つように、フットライトで浮き出ているのだ。それがなんとも美しい。夜の底に咲く花のようなのだ。なんとも幻想的な一瞬を見る。私は、俄か仕込みの宗教観がその景色を受け入れた。「あー、私たちを祝福してください」と。

そして、もう一つの美しい光景と出会った。

クリスマスの花のランタン飾り

国道は、どんどん狭い道になる。ハイウェイという感じではない。一般道なのだろうか。と、思う矢先、目の中に花の形をしたランタンを売る店が目に飛び込んできた。この今日のブログのサムネの花のようなランタンなのだ。赤や黄、緑などの色合いが店の壁全体に数十個が飾られており、この花の形をしたランタンを買ってくれる客を待っているのだ。

実に美しいお店の仕事だ。このようなお店をこのあとも2-3軒ほど出くわした。日本にはないトロピカルなランタンビジネスだ。だが、この光景を目にしたとき、私は幸せだと思った。ああ、フィリピンに来てよかったと思った。

私の懐事情は、日本に帰れば、待ったなしでその対応に迫られる。それと引き換えに、この世界をあえて選んだのだなと感謝した。「これでいい」「これでいい」と心の中でつぶやいた。私は、こんな美しい詩のような世界をかつて見たことがない。ただ感動した。

この瞬間、私は、私であって、私でない別の私として、この世界にシフティングしていたようだ。まるで竜宮で楽しく過ごす浦島太郎のように感じていた。浦島太郎のストーリーは、シフティングを描いた作品なのだなと思った。なぜ浦島は「現実」について考えてしまったのだろうかと、いつも思う。

☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ

フィリピンでは、社会全体としてインフラ整備はどうなの?!

フィリピンの大手ショッピング・モールや多くのホテル、空港などの施設、近代的な商業施設やレストラン、ファースト・フード店などの多く、さらには人の多く出入りする公共施設等では、近代的な上下水道の設備が整っている。

ところが一般家庭となると、特に田舎の地域などは、水道やガスなどが敷かれていないケースや地域などがまだまだ少なくない。基本的には、井戸が多く利用されている現状がある。火力はプロパンや木炭などを利用をしていたりする。その意味では、各家庭にインフラ設備がすべてに供給されているという状態にはないようだ。

フィリピンの現状は、社会全体としては、たしかに物質面では日本と比べれると遅れをとっているが。それでも人々は心暖かく、心豊かに自由を謳歌して暮らしている。その点については、ある意味、日本は、その知恵を謙虚に受け入れ吸収すべき点があるように思う。

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