フィリピン・パブ☆彼女からのプレゼント Part2 #37

フィリピン・パブ
180111_2038~01

このブログのメイン・タイトルは、
”美しい夜の底に花咲く夢見の中のフィリピン”とさせていただいている。
そして、その中身のスタートは、フィリピーナの彼女との出会いで、
ほぼ毎日のように、金をフィリピンPUBで散財し入れ込んで遊び歩いている内容を
羞恥心を捨てて、あえて書かせていただいた。

だが私の想いは、それがすべてではなく、むしろ、私が彼女と出会って。
彼女を支え、ともに頑張って生きようとしてきたその中での学びにこそ、
私の感じてきたことを伝える狙いもある。
例えば、PUB通いで、
金がなくなり、借金に苦しみ。次から次へと起こるネガティブな状況。

すべてが、
自分で招いた状況に追い込まれながら、そこから抜け出し、自分らしく生きる。
こんな切羽詰まった状況で、果たして、
自分が望む現実を手に入れることができるのだろうか…。

どのようにしたらこの苦しい状態から好転させられるのかなどを。
常に考えさせられ、結果として、私は、
かつては全く信じることもしなかったスピリチュアルな概念や
量子論的な世界観に身を置くことになった。

これは、彼女から得た最大で最高のプレゼントだと感謝している。

世俗的に言えば、どう見たって、私の生き方は、正真正銘の「バカなオッサン」である。
それに間違いない。
その評価に素直に甘んじようと思う。反論もできない。

それでも、彼女とともにありながら、私のこの目の前の現実を見る目が変わった。
そこで、
かなり飛躍したことを言うと。

人生は、夢見世界(仮想現実)のゲームであると、

信じるようになった。

このブログのかなり気取ったタイトルには、私の世界観が反映されている。

私のこのブログの当初の部分では、写真とブログ記事が、
まるで違っているように思われるかもしれない。
その意味で、違和感があるかもしれない。

でもこれでいい。

ここで掲載している写真は、すべて私が撮ったものであり、著作権は、すべて私にある。
これまでのブログ記事の内容と写真が、
一見、ストレートにマッチングしていないと思われるものも多々あったろうと思う。

なぜ森や竹林、田んぼの風景や、都会や街、ビル群などの風景などが、出てくるのか。
フィリピンの街や田舎の写真も都度、織り込んでいる。
そこには、
私なりの「狙い」がある。”狙い”というより、”想い”かもしれない。

その時々の”いまこの瞬間の”心情を、風景写真に託し投影している。

あるいは
私の心の中で、強くフォーカスしていたものの象徴したものの現れとして、点描している。

人の心の中は、一様でなく、否、極めて多様で。今体験していることのすべてが、
それぞれが、全く無関係に見えていても、その根っこで、意味をもって繋がっている。
もし無関係であれば、そのものは、現れない。現れることができない。
そう思っている。ただ私たちの意識世界では、そもそも限界があるので、
それを理解できないだけのことだ。

私は、このブログをただの個人的な「カモ」で、バカおやじの顛末の備忘録として、
書いていこうと思っているのではない。
むしろ、
私の意識世界の投影として、何らかの足跡を記していきたいと思っている。

はて?その狙い通りにいくかどうかは、私の力量にすべて関わっている。
力不足を感じながらも、踏み出してしまったので、このまま突き進もう思っている次第だ。
これからも、ますます。

彼女との関わりを持ちながら、フィリピンの現状なども記しながら、
私の苦境の経緯の中で、出会ったスピな概念なども、
時折、微妙に差し挟んでいきたいと思っている。

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