【フィリピン訪問記】 日本への帰国の日 2012年代 #19-0047

日本

帰国・そしてこの日を迎えた

今回の訪比は、10月30日から11月4日までの5泊6日だった。二つの大きなことがあった。子どもたちにノートPCを与えたこと。そして、彼女のお母さんのお墓参り。この二つのことは、かなり印象深い出来事だ。特に、彼女のお母さんのお墓まりとそのお母さんのお姉さんと会ったことは、私の気持ちに人生を見つめる学びとなった。

いま病床にあって、寝起きがままならないどころか。余命もそう期待できない姿の叔母の姿は、赤貧の中にあってひどく痛々しいものだった。人の人生のラインの行く末をむやみに変えてはいけない。それは、この叔母が自らの成長の学びのために、意図的に選択してきた結果であって、それは哀れだと、同情で涙をぬぐってはいけないものなのだ。

たとえ、どれほど哀れに見えても、この叔母の生きざまを尊重しないといけないのだ。手出しは無用なのだ。あえて言えば、決して宗教的な意味で言うのではなく、その上で、神はすべてを充分すぎるほど知っている。たとえ叔母が見すぼらしい人生の最後を体験していても、神はこの叔母を祝福しているのだから。

私の心はボロボロに泣いていたけれども、それでいい。美しい花を見て、美しいと思うように、悲しいほどに、この叔母の終末を見て胸苦しいほどに、心が揺れてもそれでいい。なぜなら、もっともこの叔母を神が祝福しているのだから。

この人生のドラマが終われば、女優は幕間へ降りる。そして、ほんのつかの間の休憩をはさんで、また次の新たな舞台が待っている。叔母からみたとき、涙する私は所詮ただの一人に観客に過ぎない。それでいい。

いざ空港へ

軽い食事を済ませると、彼女たちは、私の出発とともに、ここを引き上げるので荷物のまとめに入った。私の準備は、すぐに終わる。バゲージに詰め込めばいい。それだけだ。 時計を見ると、11時近い。彼女とは、特別な話もしない。ただ淡々と、時間が過ぎるのを待った。

11時過ぎに、ここを出た。フロントへ向かう。このホテルもどこか我が家のようにさえ感じてしまう。「あー、もう帰るのだな…」と思う。正直、帰りたくない。問題だらけの一人ぼっちの我が家など、帰るのが楽しみなわけがない。だが、戻るしかない。

彼女がホテル代の精算を済ませると、私たちと入れ替えに、新しい客たちが入ってくる。米国人のようだ。数人いた。ドアマンが、私たちの出るのをサポートしてくれる。そして、客待ちしていたタクシーの運転手が車を降りて、私たちの荷物を引き取る。仕事は一生けんめいだ。ありがたい。

いよいよ全員が乗って、Pasayの街を出た。昨日、彼女や子どもたちと来たバクラランの道を下って、左に折れた。これもいつも同様だ。彼女は、またある魂胆を思いついたらしい。その魂胆とは、私が、また泣くのではないか。いや泣かせてみたいという衝動さえ、にじみ出ているような「マッチャン ナカナイデ」という。

「泣かないよ…」さすがに4回目だ。それに叔母のところで泣いたばかりだ。そう泣いてばかりいられない。そんな心の中の葛藤もあった。およそ20分ほどで、空港に着いた。この運転手も、人相は怖いが、まじめに私たちに尽くしてくれた。

私は、子どもたちに握手したり、抱いた。ありがとうの気持ちだ。彼女も抱きよせて別れを告げた。今度はいつ来れるだろう…という気持ちがあった。まさか、パート先で、私を辞めさせようとしているとは知らずに、皆と別れた。

とても感じが良くなった空港職員のマナー

彼女たちと別れを告げると、彼らは、進行方向を大きく半時計に回り込んだ坂道を降りて行った。私は、振り返りざまに、その様子を見た。空港内部は、親切に対応する女性の空港職員が、案内をしている。「ずいぶん変わったな…。とても、感じよくなった」2005年に、この空港を利用したとき、男性職員が多く、何となく雰囲気が良いとは言えなかった。

荷物検査や、ボディチェックなどを済ませて、搭乗ロビーに入った。とにかく全体として、空港職員の態度が良くなったので、驚いた。ロビー内を、ぐるりと回るが、何か欲しいと思っても、結果、何が何でもというわけでなく手が出ない。そうこうしているうちに、搭乗時刻が来た。そして日本へ。

フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ

フィリピンの見どころについて!

フィリピンの見どころは、何といっても、Makati や Green Hillsなどの高層ビル群やその先進性だ。そして、もう一方は、貧富の二極化する街並み。低い街並みの中の人情だ。いまフィリピンは、大きく変わろうとしている。大きく変わるだろう。メガネをかけた人々が増えつつある。教育によって人々の意識も、自らの可能性に気づいたようだ。

せひ、この先進国の一つとなろうとしている過渡期のフィリピンを体感し見ることは、貴重な体験になる。私が告げようとしていることは、そのほんの一部だろう。ともかく若い人のエネルギーが、まもなく、この国を変える力となるだろう。そのあたりを見守っていただきたい。

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