夢見☆針の穴から見えたささやかな明日 ★19#0007

夢見空間

自分のことをとり上げることを、お許し願いたい。
ここ数年、まるで貧乏くじを引き続けているようなどん底を味わっている。
特に、2017年秋ごろから顕著な状態になり、2018年に、お金に苦しんだ。それを乗り越えるために、プライドを捨てて借金をした。

そして返済の約束もできない状態ながら、周囲の方たちの善意に生かされて、なんとか、どん底の淵をいま乗り越えつつある。まだ苦難は続くが、恥も外聞も打ち捨ててきて、それでも生き抜く厚かましい自信が、いまは、「何とかなる」に変わりつつある。そんな私を、神は裁くことはない。神は決して裁くことはない。罰も与えることはない。それははっきりしている。

もはやお金がない状態にも慣れっこになれた。ほしいものがあっても、いづれで済ませる。そんな昨今、布団のシーツが、かなり破けてしまった。私の寝相が悪いために、小さな穴から、大きく広がって、どうしようもなくなってしまった。「近いうち買おう」が、なかなか果たせずにいた。そんな一昨日、「そうだ、敗れたところを縫い合わせよう」と思いたったのだ。

母の裁縫箱
母の裁縫箱

押し入れの中には、死んだ母が生前、内職で使っていた針箱をしまっておいたので。それを取り出して、縫い合わせようと思った。シーツを広げてみると、思いのっほか、長さがある。1メートル以上ある。「マイッタな…」ともかく、やるしかない。だが、裁縫など、何十年ぶりだろう…。だが、裁縫の授業があって「よかった。」とも思う。

押し入れの最上段に、もはや形見となった母の裁縫箱がある。イスとテーブルに足をかけて、裁縫箱を取り出した。死んだ母が、どのくらいの年月使ったものだろう…。この裁縫箱は、母と生きた赤貧時代を救ってくれた唯一の小道具箱だ。私が覚えているは、私が小学校時代から、中学を終えるまでのおそらく10年前後を、母が布団カバーを縫う内職で、生活を支えていたことだ。

年齢差のかなりあった兄も、夜間の高校時代から働いていたらしい。そして夜間大学へ行き、今では大手の化粧品某メーカーの工場で、ハンドクリームなどを練っていた。そのあたりは覚えているが、私は、そのころ小学生低学年だったので、全くそのあたりの事情は理解できていなかった。ただ、兄は、いつもいないし、母も、常に布団カバーを縫っていた。

これ以上、家庭の問題を紹介して私の事情を書きたくないので、このあたりにしておきたい。
ただ、優しい母の思い出だけにしておきたい。それをお許し願いたい。

私のことを言うと、私はただの出来損ないの文字通り不肖息子で。母が布団カバーを縫っている傍でゴロゴロしているだけの役立たずだった。

そんな私でも、母の針仕事の針の穴に糸を通すことだけは、幾度となくした記憶がある。
母が、眼鏡をかけて、針と糸を突き放して、難儀しているのを見ていたときに、よく手伝ったことがある。その程度だが。その私は、さほど勉強するわけでもないのに、テレビの見過ぎで、目を悪くした。近いものはよく見えた。なので、針の穴に糸を通すのは、容易にできたのだ。

そして、この頃の私には、針の穴に糸を通すことから、人生を感じるなどということはあり得なかった。

話を元に戻そう。
現在の私についてだ。10年以上前に、中年になって白内障となっために、手術を余儀なくした。両目ともだ。それまで、眼鏡をしていたが。この時の手術を境に、眼鏡をしなくなった。視力は、両目とも0.7で調整した。1.5にすれば良かったと思ったのは、それから数年後だ。

そんなわけで、私の目は、人口のレンズなので、近いものを見るとピンとが合わない。

で、いま。死んだ母の裁縫箱を眺めながら、少し胸が痛かった。

母は、生涯苦労するために生まれてきたような人に思えて、この裁縫箱を見て、遠い昔が思い出される。「ごめんね」と母に詫びたい気もちがくすぶる。今更どうしようもない。母が死んで、もう25年も経つ。

10年前だったら、この裁縫箱を見て、せつなくて、侘しくて、嗚咽したかもしれない。

いま破れたシーツを縫うときに、針と糸を、裁縫箱から取り出すが、針が、すっかり錆びている。時の経過を感じた。ただこの裁縫箱には、母の思いが、いまだに漂っているのがすごい。
そして、針と糸を選んで、針に糸を通すができない。子ども時代には、難なくできたことが、いまは、こんな小さな針の穴に、糸が通るなんて不思議に思えた。

どう見ても、針穴より、糸の方が太い。糸の先っぽをなめて、母がしていたようにするが、それでも、針の穴が自体が見えない。ピントが合わないのだ。20センチ以上離して、どうにか針穴が見える。ここに「糸が通るのか。通るわけないないよ。」と、裁縫をあきらめようと、」
そんな瞬間、一念が通じたか、糸が、針穴を突き抜けた。裁縫など、全くしない私に、シーツを縫うことは、かなりの困難な仕事となった。この時期の暑さで額には汗がびっしょり。
しずくがぽたぽたおちた。糸を絡ませながらも、大雑把ながらも。三分の一ほど縫うと、再び、
針の糸通しに悩まされた。 

私は背中というかすぐ後ろの方で、一瞬、ふと母の気配を感じた。
見守っているのだなと感じた。

私はあきらめず、針の穴を見つめた。この小さな針の向こうに、パラレルな世界があるのだなとも感じた。遠い昔、私と母は、かつてその針の穴の先の小さな幸せを覗き見ていたのだなと思った。特に、毎日を精一杯に生きた母は、その針の穴のささやかな幸せを信じていたに違いない。「今日より、明日は、きっといい日だ」と。

そして、その母は、立派な生き様を見せてくれていた。

どん底の私は、母に詫びなければいけない。母が命を詰めて、私のために残してくれたものをすべて使い果たし、その上、マイナスな生きざまをしているなんて。何とか、私は、人生を反転させるべく、夢に生きてみよウと誓った。

何とか、シーツは、縫いあげた。思いのほか、よい出来だった。

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