夢見心地☆飛躍(シフティング)の効果2 ★19#0012

夢見空間

飛躍(シフトティング)には、やはり効果があるようだ。本日のことだが、午前中のパートへの出勤時間を大幅に繰り上げた。一つには、数日前からこのブログで書いた、路上で出会うサイコパスオヤジを私の世界から、抹消するためだ。消しゴムで、消すように、荒々しく消すためだ。それと、もう一つ、自身の生活態度を、少し改める意味もある。

そう決めたのは、数日前で。たまたま昨日(20日)は、出かける寸前に前線の影響で、スコールのような大雨が降った。思いがけないメニューが加わった。雨が落ち着くまで、自宅で、しばらく待機した。結局30分程度、時間を待ったので、いつもの悪い循環の時間帯に出勤することになった。

この話を続けるまえに、話が脇道へ逸れるが、この大雨には、私は救われたと思っている。私が30分以上はやめて出ようとしていた時間は、実は、とんでもないトラブルから回避されたのだと思った。体験もしないのに、なぜそう言えるか。自信をもって言うが、神の忖度があったと思っている。私が、この日、早く出ることは、適切でないというは計らいがあった。

私は、何も根拠を示せないが、そうだと思っている。その意味では、私はついているのだ。神は、全力で、私が、30分早めに出ることを思いとどまらせるために、大雨を降らせた。
そう確信している。私は、ありがたいほど「ついてる」と感じた。

話を元に戻そう。
早めに、出勤する新たな習慣は、今日から実践した。結論から先に言おう。どうということではないのだが、何か、気がいい。全体のリズムが、何となく良いと感じている。ただそれだけだが、実は、これは始まりで、明日も続けることで、私自身への上向きなリズムが、やってくるように感じている。

ただ、ちょっとした、気づきもある。どう理解していいかわからないが。これまでよりは30分はやめて、出勤しているのに、多分、その人物は、日本人ではない。おそらく東南アジア系の女性だと思うのだが、いつも遅い時間に出会う人物と、なぜか出会った。単なる偶然という判断もあるが、そうではないと思っている。相手の方に何か特別な意味があるのではない。

そんな次元のことを言いたいのではなく。ある種のサイン。今は、ちょっとわからない。人生のラインには、無駄なことはない。無駄な体験などない。必ず意味をつかみ取れということだと思っている。

いつか、何かの関連に気づくことがあるだろう。その時に、また記述しようと思う。ところで、
飛躍についてだが。

数日前に、かなり飛躍について考えたことがある。その時、得た答えは、飛躍はすべてを帳消しにしてくれるということを理解した。例えば、それまで、あった状況を一変する。帳消しにするという効果だ。

昔の話になるが、私が高校3年だった時だ。私は、理屈っぽいので、クラスのホームルームなどで、割と発言することがある。ある意味、言いたいことを言えるタイプだった。もちろん、身勝手なことをいうというのではなく、どこか理不尽さを感じることに、きちんと意見を言うという性格で。それを割と実行してきた。

10代のころは、あまり社会に対し、融和的に、ほどほどの妥協をするということができなかった。後年、かなり妥協的になったが。それでも、現在でも、合理性を欠くことに対しては、特に、公的な関係者と向き合った時には、相手の理不尽さをつくこともある。ただし、いまでは、相手の立場をしっかり忖度する態度は充分に身に付いた。妥協もする。

10代の潔癖症でやや論理的に尖っていたころのことだ。同じクラスのある人物が、自分に物理的にぶつかってくることが多くなった。いわゆる当て逃げだ。当初は、単なる偶然だと思っていた。いつも脇見してクラスメイトと歩いているときに、ドンとぶつかられた。そんなことが、学校生活の週のうちに、1回程度。もう少し感覚が開いていたかもしれない。

だが、さすがに私も、何度もその人物とぶつかることに、相手の目的と意図を感じた。
「わざと…か」「あのヤロー」いつか捕まえてやると、思った。
ただ、相手のぶつかり方がうまく、たまたまを装うのだ。こちらで、文句を言えば、言いがかりをつけたのが、こちらに非があるような具合だった。

ただ、そのころの私は、どこか、ぼんやりしていることも多く、忘れたころに、そのようにされて、ストレスを感じてもいた。「これはいじめか…」悔しい思いをした。追いかければ、誰が見ても、こちらから喧嘩を仕掛けているようにとられる。実にうまいのだ。

徐々に、その人物に対して、当時は不快になった。だが、相手はすばしこくて、相手を常に取り逃がしてしまっていた。私は、ふと考えた。これは、巧妙な嫌がらせだ。よほど、相手がスキを見せなれば、なかなか抗議は難しいと悟った。そして、やるなら来いという感じで、気を抜かないでいた。それでも、相手は、常に見ていたらしく。

気持ちが抜けたときのこちらのスキを突くのがうまいのだ。私は、チャンスを待つように、じっと耐えた。それから間もなくして、私は高校3年を終えた。卒業式を迎えた。
その当時は、わからなかったが、私は相手に、一切、反撃する機会を失っていたが、これでいいと思った。

そして、私の気づきは、卒業というイベントのシフティングを迎えることで、この人物と今後一切会うことはなくなったのだ。
ここに飛躍の意味がある。つまり、舞台装置が変わり、今後の私の人生の登場人物が入れ替わったのだ。ストレスになった幕は終わったのだ。

シフティングには、このように、すべてを一変させる要素があるのだ。もし私が、この人物と反撃しやりあっていたら、このクラスメイトと後にも因縁が深まってしまっていたかもしれない。望まない悪い展開もあり得ただろう。耐えるストレスは、結構あったが。無視することで、そのストレスを忘れることも多かった。

とにかく、卒業というシフティングで、この人物を抹消できたのだ。私にシフティングの意味の重さを今、このうっとおしい人物のお陰で悟らされた。ありがたいことだ。

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