夢見心地☆物理的現実が仮想のゲームならその方がいい ★19#0020

夢見空間

私は、元々は、テレビが大好きな、ただのぼんくらな物ぐさなタイプだった。
それが、PCの世界に嵌ると、テレビなどどうでもよくなってきた。YouTubeは、いつでもエキサイティングで、テレビより数段楽しめる。

その意味で、テレビなしの生活が極めて当たり前になっている。したがって、不快なニュースを見ることもない。それでも余程、凶悪な事件で、社会を賑わせているような事件だと、自然と目にすることにはなる。その意味で、テレビがなくて不自由を感じることは、まずない。

特に情報はYouTubeなどから、得ることが多い。

ゲームに待った興味がない私でも、YouTubeで、動画の配信による実況中継は、たまに目にすることがある。ゲームのCGのリアルさに関心を持ったときに、ゲーム実況に、思わずのめりこんで見てしまうことがある。それでも、自分で、
ゲームをする気にならない。

以前、よく見たゲーム実況と言えば、GTA5などのハチャメチャなゲーム実況などが、そのシュールな映像表現について、逆に感心して見入ってしまうことがある。よく見るのが、オフィス街に高層な建物。中でも、らせん状の高速道路が、天空に伸びているそこを、いろんな車で、登り切ったり、下降したりするその描写に驚く。

ある意味、良くできたゲームは、シュールを超えて、芸術的でもある。

そう感じる。そして、ゲームの中の主人公が、プレイヤーの意思を体現するように、その天空に伸びた高速道路を昇るようなシーンでは、見入ってしまうことがある。大体そのゲームは、失敗することが多く、オプションで、無敵だったりする。ゲームで死ぬことがないなど、ばかばかしさもここまでくると、お見事というしかない。

実際、ゲームのビジュアルは、かなりリアルであり、街の細部が、実によく細かく創り上げられているのには、驚く。その裏の現場では、気の遠くなるような作業をしているのだろうと感動している。

で、私が、よく作り込まれたゲーム配信の実況を見ながら、つくづく感じることがある。
このゲームが、もっと進化して、よりリアルになるとき、ほとんど現実と見境が付かないほど、描写がより細部にわたって極めてリアルに丁寧に作り上げられていった先について、この後、とうなるのかと。ふと思うことがある。

どんな進化があるかと言えば、
そう遠くない時期に、ゲームのキャラクターたちが、独自の意思を持ち始めることもあるのでないかということだ。つまり、AIに制御されるゲームのような。ゲームのキャラクターが、自ら悩み、考え、知識を獲得しようと学習を始める。

そんなゲームが登場するかもしれない。

しないとは言えない。その始まりはすでに起きている。Windows10のOSを変えてから、Cortanaというガイドが付いた。私は「OFF」にしているが。このガイドの休止が完璧なものかどうかわかないのだが。PCのユーザーである私に、以前のバージョンでは、何か指示をくれとうるさかった。私の言葉を学習したいと何度も訪ねてきた。

私は、それが嫌で、cortanaに命令を出したことはない。これと同じ機能が、スマホの方で、ずっと先を進んでいるようだが。私は、何か、怖さを感じる。

話は逸れてしまったが。ゲーム中のキャラクターが、独自の意思や人格を持つこともあり得ると思っていい。

それをもう少し、俯瞰で見ると、私たち自身が、非常に高度な人生ゲーム、あるいは人間ゲームの意思や人格を持ったキャラである可能性も低くはないだろうという、疑念に気づく。
私たちは、非常に高度な存在に操られ、意思を持たされ、人格や感情、喜びや、悲しさなどの体験をゲームと気が付かずに、体験しているかもしれない。

少なくても、量子物理学の世界では、その仮想現実を疑っている人たちもいる。

人生がゲームなら、一層のこと、一過性のゲームであってほしいと思わざるを得ない。

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