夢見心地☆そのとおりになる ★19#0048

フィリピン-ピリピン

私にとって「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)のp93に引用されている2つの福音書のメッセージが、深い説得力を持って心を捉えて離さない。

事前に断っておくが、福音書のメッセージを取り上げたからといって、私は宗教者ではない。何かの宗教団体の信者でもない。今後もあえて、宗教関係と関わることもないと思っている。無用な誤解を招かないようあえて申し上げておく。
といって違う方面において、私は何か偏った思想の持ち主だとも思っていない。
所詮、他人が評価することで、自分から言う事でもないだろうが、
どちかと言えば、
私は傾向としてはスピリチュアルではあるが常識を重んじるタイプだろうとは思っている。

さらに加えて言うなら、

ただ真面目に成功法則を学びつつある単なる凡人なだけだと言っておきたい。

誰もがそうなように、
豊かになり、あっと驚くような巨富を得て、大成功をしたいのだ。
それは、ある意味、身の程を知らないだけの変わり者かもしれない。

ただそれだけ。それだけは、はっきり言っておく。
その意味での野心は人よりとりわけ多く持っているかと思う。

私が成功法則の学びをする中で知り得たことは、
たしかに成功法則は存在し、
間違いなく厳然とあるのだという確信があることだ。
そして、
成功法則の学びを続けているうちに、どうしても、底辺に、
聖書の中のイエス・キリストの言葉があり、言葉の迫力に圧倒されるのだ。
それは遠い時代の昔のメッセージだが、今なお新しい。

しかも、あまりにバカバカしいほどシンプルすぎて、にわかに信じることは、
難しい内容でもある。
たとえ、そうだとしても、その言葉には、
すべての真理を含んだメッセージがあるのだと思っている。

聖書には、成功法則の真実が記述されているのだと識るにつけ、
イエスの言葉を改めて驚きで見直さざるを得ないと思っている。

そういいつつも、
率直に言って、私は、いまだに、通しで聖書(新訳聖書)を読んだことはない。
私が、宗教者ではないという証のひとつでもあるが。
知るにつけ、もちろん関心はある。読まなければとも思っている。

早晩、時を得て、きっと読むと思うが。
現時点では、成功法則の著作などで、引用されている言葉を拾い読みしている程度に過ぎない。
それは、印象として、
特に信仰に持たない者ならば、聖書の中の言葉は、
誰もが当初はどこか敬遠したくなるような、途方もない、
全くリアリティのない絵空事のように感じる言葉だったりする。

例に漏れず、私もそうだった。
だからと言って、端(はな)から無用だと遠ざけず、語られている言葉にあえて注意を傾け、
自分の現実と向き合い、繰り返し繰り返し、反芻し、
成功法則の学びとともに、噛み締めるてみると、驚くべき深みが見えてくることがある。

私においては、
これは、絶対に無視できないものだという見方で、自分なりに、
参照し、考え、意味を問い、吟味し、時に実践の必要さえ思うことがある。

前段が少し長くなってしまったが、
「ザ・シークレット」(p93より)で、引用されている聖書の言葉を
以下に
引用させていただく。

   「もし、あなたが信じて疑わないならば、そのとおりになるであろう。
    信じて求めるものは、すべて与えられるであろう。」

          (マタイ伝 第21章22 「ザ・シークレット」より引用 )

   「何ごとも祈り求めるものは、すでにかなえられた信じなさい。
    そうすれば、そのとおりになるであろう。」

          (マルコ伝 第11章24 「ザ・シークレット」より引用 )

ともに、表現は多少異なるが同じことを言っている。

そして残念だが、
私たちはこの言葉を素直に聞き入れることができない。

なぜなら、
私たちの経験や知識でガチガチに制限だらけの理性がそれを許さないからだ。

私たちの理性はと言えば、困難な状況、状態、不安、怖れ、疑念、
怒り、恨み、憎しみ、不幸、病など、人の抱える問題は、人それぞれに異なるが、
日々、ネガティブな出来事に出会い物理的現実に弄ばれている。
その中で、充分すぎるほど苦しみぬいて鍛えられている。独自の世界観さえ持っているのだ。

今更、何をか謂わんやだ。

「アンタ、何、寝ぼけたこと言ってんだ!世の中は、そう簡単じゃあねぇよ!
 ふざけんのもイイ加減にしろよ!」とオカンムリだ。
そして、ありがたいことに、そのように思う者には、
「世の中は、そう簡単じゃあねぇよ!」と信じたその通りになるのだ。

理性が自ら体験した、
糞みたいな苦境により培った頑な信念を抱き続けているからだ。

何がなんでも認められない。

仮に、広い度量で先の言葉を一旦は受け入れたとしても、
信じて疑わず、ただ祈り求めるだけで良いなんていうことを、
まだ制限だらけの理性は疑っている。

   「あなたは自分が何かをしなければならないと考え、宇宙がしてくれるとは
    思いもよらないのです。つまり、あなたは自分で実現しなくてはと考え、
    宇宙があなたの代わりにやってくれるとは信じていないのです。」

                (「ザ・シークレット」p89より)

そのくせ、私たちは、イザッ!というどうにもならない土壇場の困難さの中で、
私たちは「自分都合の神」に手を合わせて祈ることがある。
実際に、手を合わせたか、どうかは、ここではどうでもいいことなのだが。

それでも、「そのとおりになる」という定義を、私たちが抱き続けたとき、
それは、現実化するのだ。

   「あなたの思考がすべての事象の根源である事を覚えておいてください。
    あなたがある思いを持ち続ければ、それが直ちに宇宙に放射されます。」

                (「ザ・シークレット」p62より)

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