夢見心地☆困るかも…という幻想 ★19#0054

hiroba フィリピン-ピリピン

私は、いまイメージング(スライド)を行っている。本気でやり始めている。
自分の本来、望む姿をイメージングしている。
実は、どんなことよりも、重要だと思い始めたからだ。

つまり目の前の出来事についてあれこれ あれこれ頭で考えることより、大切なことは、自分の意識の変革のための望むべくより良いイメージングを行うべきだと気づいたのだ。

なぜなら、それが原因と結果のいわゆる原因となり、かならず絶対的なより良き結果をもたらすものだと確信しはじめたからだ。それに対比して、これまでは、どちらかと言えば、私の意識が豊かでない貧しさにベクトルが向かっているという原因があることに、そもそも気づいたのだ。

イメージング(スライド)の詳細は個人的なことなので言わないが。
その時代の思いと大いに関連している。その話をあえてまたさせていただきたい。
イメージングが、いまそこに、ある意味回帰しているようなところが
あると感じているからだ。

  ***    ***

夏の日、私は小学校のプールが大好きだった。
ただその「プールが好き」には、代償がついて回った。
私は、幼年時代に左耳の中耳を悪くしたことがあると、
母から聞いており、それが、当時はまだ、充分な完治がされていなかったのか。

夏になると、必ず学校のプール授業の開始ともに関連して中耳炎を併発していた。
そのネガティブな状況はあっても、それでも、私はプールで泳ぐのが好きだった。
運動会の徒競走では、バタ足で、いつもイヤイヤビリを走らされても、
プールでは、かなり上位の遊泳ができたからだ。

私が好きだったのは、泳ぐということよりも、むしろそのあとの甲羅干しにあった。
学校プールのへりや、校舎のちょっとした膝くらいの高いコンクリートの地面に寝そべって、
太陽を浴びることが大好きだったのだ。
目にはすでに、夏の光が露出オーバーなほどに降りそそいでいる。

夏の光のコントラストがまるで容赦ない。
目を閉じると、まぶたを透かしてでも、夏の威厳を光でもって子どもの私に知らしめる。
閉じた目がそれでもなお明るい。輝きあふれる世界だ。
なんて美しいのだろう…。何も、考えていない。

ひたすら、ただ白い光の中で、なぜか、幸福な感じがした。
いつまでも、こうして居られたらいいのに…。

その幻惑に近い時間を過ぎて、リアルな世界に戻れば、私は貧しい家の子だった。
たとえそうであっても、その目を閉じて光を感じた瞬間こそ、

いま思えば…
「今、ここ」の瞬間だったのかもしれない。

そう思うことが最近よくあって、イメージングの中で、それを取り入れるように今心がけている。ついでながら、「今、ここ」について言うなら、
津留晃一氏のメッセージは、神がかりの啓示に富んでいる。
ぜひ、紹介したい。津留氏のホームページのコーナーで、「メッセージ集」にあるのだ。

◎時間軸
http://www1.ttcn.ne.jp/turu/22jikanjiku.htm

   「人は今の延長線上に未来があると堅く信じこんでいます。
    これは大きな誤解なのですが、これまでの体験から判断すると、
    『時間軸は今ここに無限にある』という話を聞いてもなかなか納得する
    ことが出来ません。時間はレールの上を直線に流れているわけではありません。
    今、意識の質が変化すると、時間軸というレールの線を別のレールに
    乗り換えてしまい、未来に体験する出来事が変わってしまいます。」

(津留晃一 Webサイト メッセージ集「時間軸」より引用)

とある。
幼年期の私には、「今、ここ」の意味がわからない。
いや「今、ここ」の概念すらあることさえ知らなかった。恐らく、なかったと思う。
なぜなら、その「今、ここ」が言われるようになったのは、
ここ十数年くらいの話だろう…。意識の「目覚め」と関連している話だ。

私が、夏のプール遊びのあと、無自覚に「今、ここ」を体験していても、
幼年時代の私は、すぐに貧しい家の子の意識に戻って、
その貧しさを受け入れ、性根のすべてをそこに注ぎ込んできた。
時には、まぐれのように幸運というものがあって、その良き時を過ごすこともあるが、
概して、
つい最近まで本当に、心を哀れなほど貧しさで満たしていたのだ。

いつも、ほぼ同じようなお金に不足するような人生ライン上にあり、
艱難辛苦を舐めていた。

津留氏のメッセージは、重要な示唆に富んでいることを、改めていま強調しよう。
私たちは、過去からの延長線で、未来を生きるているのではないという自覚を持たなければならない。それこそは、私たちの意識が創り出した幻想なのだ。

津留氏が言っているのは、「今、ここ」は、リセットの瞬間であることを述べている。
私たちは、時間のレールを、より良い方向へ進むことのできるレールを
いつでも選ぶことができるのだとしている。

なぜなら、津留氏も書いているように、

  『時間軸は今ここに無限にある』
(津留晃一 Webサイト メッセージ集「時間軸」より引用)
からなのだ。

このことは、トランサーフィンのヴァジム・ゼランド氏もバリアントの空間という
仮説をたてることで説明をしているが。
重要なことは、選択の権利は、無限数にあることによって保証されるからだ。

だが、せっかくの「今、ここ」を認識したあとで、リセットしたあとで、
現在を過去からの延長。そして、未来はそれに続くと考えるのは、
幸せから遠のく考え方であることを再認識しなければならない。

少なくとも私が、かつて困ったことが多かったのは、困ることが起きると、
わざわざ、自分で、自分を貶めるように、そう思い続け、フォーカスし選択したからだった。
それは、未来の選択が、単に過去からの一直線の選択だと、
考えていたからにすぎない。

だが、未来の時間軸の選択。人生ラインの選択は、無限数にあるのだ。
そのことを踏まえれば、
あるときから思いがけない恵まれたことばかりが起きるレールを、

ただ選択もできる。

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