夢見心地☆法則があるとするなら、私たちは見たいものを見ている ★19#0056

フィリピン-ピリピン

ここでは、二重スリットの話は直接しないが。それは、簡単な知識程度で、何となくどういうものかを話として知っているというぐらいで、充分だ。という話で進めさせていただきたい。そこを深堀したい方は、ネットでの検索やYouTubeなどの動画などで、さらに二重スリットのキーワード検索をし確認していただきたい。

固より専門の物理学者の間でも結論が出ていない問題に、素人がどうこう言えるはずもない。

ただ巷間言われているのは、量子の世界で分かっているのは、電子などのミクロの世界の物質は、粒子であり、同時に波の性質を持っているでという奇妙な特徴を示すということだ。このことが一体何を意味するのかを、本日のテーマとしたい。

結論から言えば、量子は、観測者の意向を忖度する性質があるらしいということだ。どいうことか。それは、量子が観測されるときには、粒子となり、観測されていないときには、波の性質をもつということが、分かっていること。

それは何を意味するか。
二重スリット実験でよく言われているのが、量子は観測されているときには、スリットをすり抜けた電子が2つのラインを形成するが、観測されていないときには干渉縞ができるという奇妙な現象が現れるという。

もう一度、繰り返すが。

それをこのブログでは、量子は観測者の意向を忖度しているらしいと述べさせていただいた。つまり量子の世界で、いまこの瞬間も起きていることは、この現実世界において、いわゆる見えないミクロの世界では、不思議なことが常に支配的に起きており、結果、現実のマクロの物質の見える世界で、それは実は見たいものを見るということに結果に繋がっている。

このことを踏まえて、次のことを申し述べたい。

私は、最近、数年前に読んだ「ザ・マスター・キー」(チャールズ・F・ハアネル【著】菅 靖彦【訳】河出書房新社)を手にして、赤い線を引いた箇所を読み返して。改めてこの本の凄さに感動している。

この著作の紹介文に、次のように記されている。

「1917年に初版が刊行されたこの自己啓発書の古典は、当時としては画期的な20万部以上のベストセラーとなったが、教会の思想に合わないという理由で1933年に発禁処分となった。」
「ザ・マスター・キー」(チャールズ・F・ハアネル【著】菅 靖彦【訳】河出書房新社より引用)

その後、70年以上、読者の目に触れる機会がなかったが、この本は、やがて「成功哲学」の著者ナポレン・ヒルやディール・カーネギーらに影響を与えることとなる。その影響力は、さらに現代では、ビル・ゲイツや世界的に超・大ヒットとなった「ザ・シークレット」にも随所にその文言が引用されている事でもよくわかる。

そしてこの本を再び目にして驚くのは、100年以上も前のこの本が、直接、量子論的な概念などに、一言も言及していないが。
なのに、その鋭い洞察力は、量子論的な部分に結果触れているのがすごいと思わされることだ。

そして、この本の著者チャールズ・F・ハアネル氏、ご本人は、量子物理学者でもなんでもなく、ただ驚かせられるのは、30代で、砂糖とコーヒーを扱う事業家で大成功を収めた人物らしいという紹介があるのみで。特別な研究者というわけでもなく。

自らの成功体験の深い洞察の中から、一事業者でありながら、その超越した意識を育み持ち得たことが素晴らしいと思えてくるのだ。

この方のメッセージの凄さは、
いろいろありすぎるが、著者の本の一部からその内容を紹介しよう。

「あなたは考えることを自由に選べますが、思考の結果は不変の法則に司られています。」
(「ザ・マスター・キー」チャールズ・F・ハアネル【著】菅 靖彦【訳】河出書房新社  第8週 想像力を養う P107 より引用)
と述べている。

この文章と、前述の二重スリットとどんな関係があるかというと、
すでに二度述べているが。

”量子の世界は、観測者の意向を忖度する性質があるらしいということ”に関連していると述べておこう。
つまり、
私たちの目に見える物質世界は、私たちの意識の奥に抱く思考に影響されるということでもあるのだ。

チャールズ・F・ハアネル氏は、続けて、次のように述べている。

「ある考えをしつこく抱き続ければ、それが本人の性格、健康、環境に影響します。だから、好ましくない結果しか生み出さないとわかっている習慣を建設的に考える習慣でとって代わらせることが、きわめて重要な意味を持つのです。」

(「ザ・マスター・キー」チャールズ・F・ハアネル【著】菅 靖彦【訳】河出書房新社  第8週 想像力を養う P107 より引用)

私がここで、
何を言いたいのかを、結論付けるなら、マクロであるこの物質世界(現実世界)を支配的に構成しているミクロの世界が、私たちの意向を忖度するということは、私たちの抱く思考を忖度し、現実化させるということでもあるということだ。それが、「不変の法則」でもあるのだ。

タイトルとURLをコピーしました