夢見心地☆人生の波の高低差 ★19#0079

夢見空間

数日前に探していた本が突如として見つかった。あまりにもあっけなく。
どこにあるかは、おおよそ知ってはいたが、私の机周りがかなり煩雑になっていたため、
必要なときに、いくら探しても見出すことができなった。
「あるはずなんだが、おかしいな…」と。

しかも、不思議なのは、積んである本たちの一番上にあった。何度も、このあたりは探していたはずだったのだが。なんで今頃、こんなところにと思うような場所で見つかった。「思わず、なんだよ…」と思わず頭を振る。その本は、「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス 吉田利子[訳] SoftBankCreative)だ。

何気なく手にして、自分が何を探しているのか、目次に目をやった。
「自分が何を探しているのか」とは、妙な言い方に聞こえるかもしれないが、
彷徨い人のように、当てなく目次に注意を向けたのだ。そして、

「思考は現実化する」p030の項目に、目が止まった。

旦那さんのジェリー・ヒックスが、その後、チャネラーの妻エスターとともにの活動をする前の話としてナポレオン・ヒルの書籍と出会い、少なからず影響を受けたという内容に関心を持った。
何かしら複雑な思いがあり、ちょっと説明し難いのだが、私の気分としては「ふーん…」という感じもって、中味を追った。

その記述中の

特に、

   「だがその当時でも、自分の思考がとても重要で、人生経験は当人の思考の内容を
    反映している、ということをこの本が悟らせてくれたと感じた。」

(「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス
 吉田利子[訳] SoftBankCreative より引用)

というところで、私自身の思考が、私の過去を、人生を振り返っていた。

   「人生経験は当人の思考の内容を反映している」

私自身が、この言葉を頭の中で反芻していたとき、

確かに「良くも、悪くも、自分の思う通りを経験して来ているよな」と、
思い返した。

私自身で言えば、確かに、望んだとおりに、望む大学へ行き、映像の業界にも進むことができた。
ある程度、自分の思考で思い描いた通りに人生をその通りに体験していると納得したのだ。
その目立って、あるいは希望していたという意味で、
望んでいた部分については、その通りで、異議がなく、OKなのだが。

他方で、望んでいなかったネガティブな結果の人生について言えばそれも多数あるという
ところで、やや不満が残る。そして、その不満について、私は、ずっと考えてきた。
今も考えているのだが。

そして、分かることは、自分の身に起こるどんな状態も状況も、
「意識せずとも、望んでいたのだ」という結果に、
いま愕然とする気持ちと、
もっと、しっかり生きなければという思いに駆られるのだ。

このブログで以前、2-3度書いたが、そこをまた少し触れさせていただくと…、
映像業界に入る前の話だが。

私は、10代の後半からどうしても映像業界に進みたいと熱望していた。
大学の学部も演劇科志望で入学し、それに関連もしていたのだが。
現実社会の就職というあたりでは、その実現が、なかなか容易ではなかった。
方法すら分からないし、固より術がなかった。

そして、その望んでいた人生ラインへ、何か不思議な力の作用と計らいで、
私は、妙な経路で、そこへ押しやられる運びになった。

その最大のポイントが足に骨移植する手術して、生死まで試された
一定の時期が作用点になった。

大学で展望を無くして中退し、全くいい加減な気持ちで、フラッとファスト・フード業界に飛び込んだ私の人生ラインを、骨移植の体験と半年の入院生活が、大幅に修正するためのシフトのキッカケになったのだ。

つまり、私の運命は、望んでいた人生ラインの軌道修正をとんでもなく大股で跨ごうとして、
骨移植までを体験することになった。
それは、私自身の人生の振り返りで、もっとも大きな作用点だ強く感じていることなのだ。
単なる偶然ではないということ。そうなるべくしてなったということだ。

いまは、その絶望的な気分が支配したその時期があったことに深く感謝している。

で、そこから知り得た私の教訓は、
もし間違った人生ライン(=私の場合だが、望んでいなかったファスト・フード業界に飛び込んだ事)を踏んでしまったときは、想定もしていないようなアクシデントなどで、それが最短の方法で、必ず軌道修正されるのだという貴重な体験になったのだ。

その後、私は、一時期、映像の制作プロダクションに勤めたが、その後、5年ほど、会社が親会社に吸収され閉鎖された。私自身としては、その後、2-3年ほど、転々とするが、
意識上は、全く望んでいなかったフリーランスで、映像の企画・制作ディレクターとなって、それまでになく、自由で、収入も飛躍的に良かった一時期がある。

そして、最近、指折り数えたのだが、ほぼ10年前後ほど、金銭で苦しむことなった。
いまもう一度、再起しようとその寸前でもある。

誰でもそうだと思うが。
こんな金銭的に苦しい状態は、意識の上では、決して望んでいないことだ。

だが、私は、成功法則の学びを行ってきたものとして、
確信しているのは、私が、すべて望んだとおりだったのだなと思うことだ。ネガティブな状態も。
人生をひとつの高低差で上下する波に喩えるなら、高い方に、望んでいた時期があり、
その反対に、望んでいなかった苦しい時期に低い波の時があるのだなと。

そして私の最近のほぼ10年ほどは、その低い方の波の底にいるのだなと思っていることだ。
もうまもなく、バランスから考えて、今度は、低迷し落ちた以上に遥かに上昇していくだろうと
思っている。

その中から、気づくのは、
人生の中のどんなに苦しく低い波も、実は、私たちが意図せず無意識に
選択していたということなのだ。

若い時に、骨移植で入院したことも、他にもネガティブなことはうんざりするほど多数あるが、
記憶に残るトピックとして、強く感じるものとして、ここ10年ほど、
金銭的に苦しんできたことの意味を考えるとき、

それは、意識上では、確かに望んでなんかいない。
だが、心の深い部分で、あえて望んでいるから起きていることなのだと、
強く私はいま実感している。

私たちのほぼ希望通りに叶えられたことだけが、望んでいることなのではなく、
「ジョーダンじゃない」と言いたような、あまりに悲劇的なあるいは不幸な、
ネガティブな状態、出来事も、実は、自ら、必然的な要請があって、
私たちは、それを創出しているのだということを識る必要がある。

ただ、それをなるべくより良いものとしてコントロールすることはできるようだ。
望む人生を、よりしっかり描くことのようだ。

無自覚に、無意識に流されると、とんでもなく痛い目を見るというのが、私の現在の感想だ。

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