【フィリピン訪問記】夜空に見る意識の底 #19-0006

夢見空間

何でもありの国。そして自由の国フィリピン。

二度目にフィリピンに来た時のことだ。2007年12月中旬だった。二度目になると、多少は、フィリピンへの異国としての不安から解放されて、余裕が生まれたように思う。この国が好きだなとすでに思っていた。何よりも、何でもありの自由が、日本とはまるで違うと感じていた。

日本は、やはり規律が正しい。良くも悪くも、規律が正しい。それが、この国にはない。自由なのだ。タガログ語に「po(ポ)」という言葉がある。ありがとうを意味するsalamatにプラスしてsalamat poと言えば、ありがとうございますの丁寧語にはなる。敬語?と呼んでいいのか、poを付ければ、丁寧な言葉になるという。

一定のへりくだった物言いもあるにはあるが、基本的に、人と人との関係においては、対等なようだ。なかなかその辺の感覚はまだ分からないが、「po」を付けるといいと言われている。年下の子どもには、「po」は、やはり違和感があるようだ。とはいえ、日本と違い、概ね、あえてへりくだる必要はない事だけは確かだ。

そうしたことからも、原則、人々には、自由な空気感というものがある。余計な気遣いは必要なしに、付き合えるのだ。またフィリピン人の国民性としても、よく言われるように、とにかく明るい。楽しいことが好きだ。すぐに一節、二節、突然、歌いだす。つらく悲しい時もだ。

ついでなので言っておくが、私がフィリピン人を好きなのは、何よりも飾らない人柄の良さや愛嬌、人懐っこさにあるといっていい。特に、彼らは日本人が大好きで、敬意を払ってくれる。その意味で、フィリピンは、日本人にとって、観光するなら、お勧めしたい良い国の筆頭だ。新日の良い国だと言えるだろう。

日本人に対しては、どこへ行っても明るく受け入れてくれる。最もお金持ちだと思っているあたりが、やや後ろめたい気がする。特に私はそうだ。日本人もお金持ちじゃない人もいるよと言い訳しながら、彼らと接する必要がある。それでも、彼らはやはり日本人が好きでお金持ちだと信じ込んでいる。それを感じる。

治安はかなり良くなっている

skypeで彼女と話すときに、治安についてよく聞くことがある。すると、やはりドゥテルテ大統領になって、一時期、戒厳令のように、治安のための夜の出歩きは、禁止されたことがあるという。とにかく新大統領は、これまでのダバオ市長時代の手腕を生かし、治安をかなり良くしているようだ。

住みやすくなったと、彼女も言っている。とにかくドゥテルテ大統領の指示は、彼女の住む片田舎にまできちんと波及するのだからすごい。とはいえ、アメリカほどではないが、銃に対して規制のない社会でもあるので、そのあたりは、日本人は、観光客として調子に乗った行動に出るべきではないだろう。浮ついた行動だけはどの国でも慎むべきだ。

もともとアメリカの植民地下にあったので、そのあたりは独特の自由さの中にある。日本の自由とはかなり違う。本当に、何でもありの自由なのだ。ただし、この何でもありの自由は、徐々に規制により制限が、いづれ制限が、かかってくるだろう。

夜空という意識を見上げる。

彼女の住む小さな田舎町で、何でもありの自由を感じながら、夜空を見上げたことがある。
足元には、先ほどまで焚火した燃えカスの火種が、わずかな煙を燻ぶらせていた。
二度目の慣れた気持ちが、やや私をリラックスさせてくれていた。

私は、日本を離れ異国の地で、俄かに孤高という感じを抱いた。私はいま、フィリピンという国にシフトしてここにいる。私が日本にいれば、知ることになる日本の情報は一切入らない。私が今見ている世界は、フィリピンという国の空間にいるということだ。その不思議を感じた。

飛行機に乗って、この地に来たのだから当然といえば当然だが。敢えて言おう。「違う」私は、フィリピンの今、ここにいるのだという瞬間の思いだ。彼女の部屋の外に出た野原で、夜空を見上げている私は、「今、ここ」なのだ。ここしか知ることができない。
運命なのか宿命なのか。人生のラインは、私に「今ここ」を見つめなさいと示唆している。

今、ここにいるのは、私一人だけなのだ。そのほかの登場人物は、所詮、私の意識の中のキャストなのだという妙な実感を感じ受けた。

☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ

親日という目線は、有難くも照れくさい感じだ…

フィリピン人の親日度は、結構、肌で感じることができる。行く場所やローカルなところほどという条件付きだが。あきらかに羨望に近いまなざしで、こちらを見てくる。見られている。少なくとも、現在の日本人というより、過去の我々の先輩が立派で、そのころの日本人の活躍のおかげで、私たちは好意的な目で見られているのだ。

それを忘れてはならない。私たちの多くの世代は、先人たちがなし得てきたことの何分の一も、まだ何もしていないのだ。なのに、彼らは、私たちを好意的に見てくれる。そのことに奢ってはならない。その意味で、私たちは、あさましい態度で、彼らに接するべきでないと思う。

私たち日本人のこちらも彼らに敬意をもって、感謝の念をもって、フィリピン人に接してほしいと思う。彼らの感情が、いま親日で満たされている今こそ。

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