私は、彼女の2度目のサヨナラパーティを私の愚かな振る舞いで
台無しにしてしまった。
その彼女とは話をすることができないまま、私とシショウは店を後にした。
それは前回のブログで書かせていただいた通りだ。
一方で、彼女はと言えば、ビザの関係でそのまま帰国してしまった。
それから、何カ月が過ぎたろう…。
経済的には、ホッとした。
落ちるとこまで落ちてしまったが。
文字通り、金銭的には、スッカラカンになっていた。
どころか、マイナスだった。
しかし落ちた先のその底はまだまだずっと先に
あるらしい。底無し…? かも…。
そのリアリティが、ひしひしと私の胸を焦がしはじめていた。
ともかく…。ともかく。
とりあえず、私は、ホッとしていた。金銭的に。
それでもシショウとは、
ときどき、2-3ヵ所のフィリピンパブを尋ねて彷徨した。
「ショーもねえーな」と言う感じだった。
だが、以前よりは、フィリピン・パブ通いは、断然、減った。
シショウとも、何となく軸がなくなったようで、
会話にも、すきま風が吹くようになり、
会う機会が減ってきた。シショウには、いつも彼女と結婚すると強がったが。
見通しは、ついていなかった。なぜなら、
まず私の経済のこともあり、彼女なりの事情もあって、
お互いにその話は避けていたからだ。
彼女の帰国で、このまま縁が切れるのかもしれないとも思った。
それなら、それでもいいかとも。そんなふうに考えた事も何度もあった。
彼女への電話も経済的に厳しいし。まず満足のいくような話もできない。
何となく、電話も疎遠になっていた。
「あー、このまま終わるかも…」
そんな考えが支配的になりつつあった11月の下旬頃、
彼女から電話があった。
「デンワ チョーダイ!」
「おお!久しぶりだね」
「デンワ ナンデ ナイ、アコ(=私) イラナイカ」
「…。あゝ、よく電話してきたね。」
「キテ イイヨ。ピりピン 二」
「えー。…。分かった。行くよ。」
「イツ?」
「いつ…って。チケットない。とれるかな…? 電話するよ」
と言って、その時、私の初めてのフィリピン行きが決まった。
とはいうものの。
金がない。どん底だった。
どん底だった。
カードを使うしかなかった。しかし、
航空チケットなど、自分で買った試しがない。
「どうしよう…」「どうすればいいんだ…」
そこから、ネットで調べ。以前から格安で話題になっていた。
たまたま、撮影の仕事の関係で、
以前から知っていたHISを探し当て、新宿へ向かった。
といっても、知り合いがいたわけじゃない。
そして、問題が起きた。現金のない私はカードを使うしかない。
しかし、
私の場合、はじめてだったこともあり、
カードでチケットを買うことできなかった。
現金のみだ。カードでキャッシングするしかなかった。
そして、このブログ「ホーム」のメニュー
「 フィリピンの訪問記とあれこれ 」の始まりの方である
フィリピンへ行くことになる彼女からの国際電話 part2 #19-0011 へと続く。
私は、12月の初旬に、不安と重い気分で、
新宿駅の東口に辿り着いた。
駅の構内から地下道の人波の中を魚のように泳いだ。
川や大きな池などを見ていると、魚がポンと跳ねる。あれと同じように、
私は、早く地上に出たかった。
この後の詳細は、そちらで確認していただきたい。