ふと、寝覚めると2:30amを少し回った頃だ。部屋は当然、真っ暗。その中で、携帯を手探りし時間を見て、ふと重い気分になる。
いくら早起きをしていても、これは、少し早すぎる。日曜の朝なのに、こんなに早く起きても仕方がない。しかし、プレッシャーがあると、眠りが浅くなるのか。あるいは年齢も関係しているのか。すぐに目覚めてしまう。
2度寝しようと思うが、その前に、枕元のノートPCを再起動する。
青白い光が目に飛び込む。寝起きの目にはひどく眩しい。何とか横になりながら、自分のURLのカウント数が気になりをチェックする。期待通りの結果は出せていないことに「仕方ない…」と、思う。
私自身、ここ10年単位で、人生の流れを見ると、2014-2016年あたりが、少しばかり良くて、そこを一つのヤマとみるなら、その前後が、さえない。さえないというより、どん底という方が正しい。いま、その山を下って、2年半が過ぎ、やはりあえいでいる。
毎月、苦しいときをやっと乗り越えたかと思うと、再び、もう打つ手もないような困難に出会う。その多くは、収入の面で、不足続きのお金の問題だ。いつになったら、この谷間から抜けられるのかと、焦りがある。それが、私の睡眠の深度を浅くしているのだということがよくわかっている。
9月1日、これから、ほぼ1か月を乗り切れるのかと、胸が不安で熱くなる。身体も強張り。さらに、ジトーッと汗もかく。その気分の重い状態で、YouTubeを見る。動画の検索は、数日前から、ブログの記事に書き始めた「カタカムナ」についてだ。
今日、カタカムナ関連のセミナー風景の動画を見ていて、ちょっとした心を軽くする話を聞いた。動画中の話だ。その講師の話は、私が知っている内容だった。例えば、コップに入れた水に、「ありがとう」などの肯定的な言葉を投げかけたものと、悪意に満ちた言葉を投げかけた、コップの水の結晶の出来に大きな違いが出るというものだった。
この話は、割とスピ系では、有名な話で。その研究者の発表も有名だ。故小林正観さんなどがかつて講演や著作などでも、その話を紹介していたりもする。
かつて、私は、そんなものかと、感心したものだった。中でも「感謝」の言葉は、強い波動を持っているものなのだと、理解していたつもりだった。
そして、いまどん底の私は、ふと、改めて気づいた。
「そうだ。なぜそれを素直に信じないのか」と改めて自問した。
どんなに気分が重くても、そのままでいるのではなく、やはり、自分の内側から、ポジティブな言葉を発し、自分を浄化しないとだめだと思いいたった。
今の私は、明るい肯定的な言葉を自分自身に投げかけていないことに気づいたのだ。
「やってみる価値はある。
やろう…!」
実は、ここ数日、何か、呪文のような言葉が目に付いていたのだ。以前は、そうした言葉を発していたのに、最近は、とても少なくなった。
私自身をコップの水に例えて、自分のために、肯定的な言葉を投げかけてみようと、今朝思った。その必要性を、サインとして投げかけられていたのが、「カタカムナウタヒ5首、6首、7首」と出会ったのだろうと思っている。
9月は、支払いが多いのに、ちょっとした収入の宛もなく、それが理由で、ここ数日、眠りの浅い日々を過ごしている。なので、本気で、唱えてみようと思う。もし目覚ましい結果があれば、それを、ここで紹介しよう。