世界は、波風を立てて崩れていく…。
どうか心配しないで欲しい。
これは、私の意識世界の中だけの話だ。
事前に言うが、私の頭がどうにかなったわけでもない。
――☆ ☆ ☆ ――
正常…?それは、何に対してだね…。
……。
私は、自問の中で、自分自身に答えた。
誰でも、自分で、自分に問いかけてみることはあるだろう…。
しかし、正常化どうか…なんて、そんなものは、
意識世界の中では、本来、どうってこともないものなのだ。
ただ現実の物理的側面にだけ重きを置いて、その呪縛から自分を引き剥がしてみようと
思ったことのない方々からすれば、私の以下に述べることは、
ほとんどが、戯れごと以外の何ものでもない。
数日前、「ミッション8ミニッツ」の記事を、書かせていただいた。
その中で、簡単に私が触れたことがある。このストーリーは、パラレル・リアリティを
肯定する映画なのだ。そして、私が実感し始めているのは、こうしたパラレルな現実があることを感じつつある人々が、意識的になり、目覚めつつあるということなのだ。
少し前のことになるが、私は、レンタルビデオの棚から、
「パラレル・プラネット」という映画を見出した。
当然、「パラレル」の文字にワクワクした。
それに惹かれるように、DVDを手にし借りた。
正直、映画はB級だった。…面白くなかった。
それでも、
ただひとつ興味深かったのは、もし間違いでなければ、
私のとても好きだったTV映画シリーズ「X-file」に出演し、
主役のモルダー(デヴィット・デュカバニー)捜査官が「肺がん男」と呼んでいた、
あの当時の俳優が、この映画に出演していたことだ。
しかも、この映画でも、彼の役回りは、なおも怪しく、「X-file」の役柄をそのままに
引きずっていた。
この映画でも、彼は何かしら政府の裏組織で、世界を操る陰謀をもった人物のような、
そのような役回りの設定で登場していたことだ。
「変わらないな…」とも思った。そして、何はともあれ、
「あー、元気でまだ頑張ってるんだ…。」と、率直に、うれしくもあり、懐かしくもあった。
同じ俳優かどうか、正直、自信がないのだが。
少なくとも、顔が非常によく似ていた。恐らく、同じ俳優だと思う。
これは、かなり本筋から外れた余談だが。お許し願いたい。
映画の内容や俳優たちがパッとしなかったこと、ストーリーの練り方が、
イマイチだったことなどもあり、その「肺がん男」の存在感ばかりが気になった。
全く余談で申し訳ない。
ところで、この映画は、文字通り、パラレルリアリティを題材にしている映画だ。
米国映画らしい派手さにかけていたことが、B級に押しとどめてしまったのだろう。
主役の人物が大学の研究室で、パラレルな現実を、現実化することに成功し、結果、気づかないうちに、そのパラレルな世界の現実の倒錯に陥り混乱するという内容の話だ。
その中で、自分の身の回りで関わる人物たちが、状況で異なる態度を示す。現実化、非現実かがわからなくなり、それに悩まされるという話なのだ。
私のその映画に対する評価は、低いが。見る方によっては、面白いと思う人もいるはずなので、
一面的に、私の意見に惑わされないで欲しい。ご自身で、観て判断した方がいい。
私の意見は、あくまでも、私の思いの中の意見に過ぎないのだから。
私は、このDVDを見たときにも、やはり私の意識世界が波風を立てながら、
崩れつつあるのだなと思った。
パラレルな現実を題材にし、肯定する映画が、ここにもあったということにだ。
なぜ、意識世界が波風を立てながらなのか。
私は、トランサーフィンやバシャールなどの言葉を通じて、あるいは100年以上も前の賢人たちの言葉を通じて、そうした世界観があることを、知って受け入れていることによる。
一度、この世界観を受け入れたとき、これまでの物理的現実の側面に対する信仰は、
大きく変わった。それが、私の意識世界が、波風を立てて崩れるという表現の根拠なのだ。
トランサーフィンシリーズ第4巻
「トランサーフィン『鏡の法則』」(ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)に次の記述がある。
「いわゆる『常識』とよばれている一枚岩を揺さぶって根底からぐらつかせ
なければならない。常識というのは本当はそんなに健全なものではないのだ。
リアリティには物理的側面と形而上学的側面という二つの面が同時に
存在していることを受け入れてみると、古い固定観念は崩壊するが、
世界の構図はどんどんはっきりとしてくる。」
(前出:p126より)
私は、どこかの宗教の神ということでなく、宇宙を創造したものがあるという意味で、
その象徴として、
神を信じるように、この言葉を信じている。むしろ無条件に信じ始められるようになった。
物理的な現実は、イリュージョンであり、私たちの意識の中だけで起きてることなのだと。
私の記述していることは、所詮、私だけの世迷言と思って、皆さんは、ご自身の信じるところを信じればいい。