【フィリピン訪問記】フィリピン旅行はシフティング 2012年代 #19-0040

旅行
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フィリピン旅行で起きた不思議なこととは、前回のブログより

飛行機に乗り、フィリピンに着いた頃には、足の痛みに気付いていなかった。痛みがなくなっていたのだ。私が、フィリピン旅行に行っている間のことを別次元という言い方をしているが。ここにその含みがある。フィリピンにいた間中。膝の痛みがあったことを忘れていたのだ。このことは、日本に戻って、後から「あれっ…」と思って気づいたことなのだ。

フィリピンに旅行中は日本で痛かった右膝が何ともない事実の意味

前回のブログ記事(フィリピン行きと私の事情 2012年代)で示唆したように、私にとって、フィリピン旅行は、別次元へのシフティングなのだということに気付かされた。

もっともAの場所からBの場所に移動するのだから、それは、固よりシフティングじゃないかというその指摘は、私の内部での気づきとは「ちょっと違う話」だと言わせていただきたい。

その指摘は、確かにシフティングには違いないが、そんな単純な話で申し上げたいのでない。

つまりフィリピンへの旅行という形で、パラレルな世界にいる物理的な存在の私は、それまでの日本という物理的世界をフォーカスしていた意識状態が、新たなパラレルな世界の私にフォーカスしたことで、物理的現実は、すでに変わっていたのだと申し述べておきたい。

分かりにくいかもしれないが。その移動した先のパラレルな私は、私であっても、それまでの過去の私ではないという点をあえてを申し上げている。それは別次元の私なのだ。

そういう一見、奇妙な考え方をするのは、私が影響を受けた量子論的な考え方の影響のせいだろう。そこをいまこのブログで、これ以上掘り下げるのは避けたい。私が、このブログで紹介したいのは、実際にこんなことがあったという普通なら見落としてしまいそうな体験を、あえて書きたいと思っているだけなのだから。

整理して言えば、すでに前回のブログで書いたように、このころ、私は夕方から深夜までの5時間、広いエリアを清掃するパートで、右膝痛と腰痛を引き起こしていた。そのことをお伝えした。後に、右膝は、関節の間のクッションの役割をしている軟骨が、医者の説明では手術が必要なレベルで擦り減っていたらしい。

それが、フィリピンに行くことになってから、痛みが急になくなっていたのだ。そのことに気付いたのは、日本に戻って、膝が痛いことを思い出してからのことだった。

ややこしい言い方で申し訳ないが、そんなことがあった。

単純に言おう。日本にいたとき、痛かった膝、腰が、フィリピンに来て、すっかりその痛みを忘れていたということだ。フィリピンへ旅行にきていたときだけ。

SMモールへ行こう!

私は、ほぼ1年半ぶりに家族と会った。わずか1年半なのに、長女がとても大きくなっているマミーの肩を超えている。そして驚いたのは、次男だ。やけに太っていることだ。体重が、1年半前の2倍はありそうだ。そして、彼女は、体重を5キロ以上、落としたようだ。この方が良い。前回、やや太りすぎだった。長男は、後から来るということだった。

彼女らと空港で落ち合うと、すぐ、馴染みのアパートメントホテルに向かった。今回も滞在期間が短いので、田舎には帰らないということで、合意していた。むしろホテルで、楽しく過ごすほうがいいということで。

今回のメンバーは前回と少し異なった。甥っ子は別の者が来た。子供の面倒を見るおばさんも、今回はいない。ホテルまでは、やはり2番目のオニイサンが手伝いをした。ホテルに着くと、2番目のオニイサンは、すぐに田舎に帰ったらしい。

私たちは、ホテルに、それぞれの荷物を部屋に入れて、すぐさま、pasayのSMモールに向かった。このモールへは、何度も来ている。懐かしい。そして、とりあえず、日本でも有名なファースト・フード店でフライド・チキンを皆で食べた。すでに夕食の時間だ。

店内でというより、店の外のテーブル席を2つほどくっつけて、皆で食べた。

食事を終えて、すぐにフード・コーナーへ向かった。いつ来ても、ここの大きさに驚く。そして品数の豊富さに圧倒される。背丈ほど以上の棚に、盛沢山な商品群ある。彼女は、ベビーカーほどの大きさの深いカートを用意して、ポンポン買い物を続ける。この時は、本当に生き生きしている。

子どもたちは、お米のコーナーで、「二ホン ノ オコメ ダ」と、興味をもって話題にしているのが、何となく理解できた。そうこうしているうちに、キャリーには、かなりの量の買い物品が入っていた。精算を済ませ、タクシーでホテルに戻った。

☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ

マニラは、急速に先進国のように大きくなろうとしている!

[su_note note_color=”#fffad9″ radius=”6″] 2005年に初めて、pasayに来て、7年が経った2012年、街に特別な箱モノができたというわけでもないのに、どこか、落ち着きが出てきたように思った。街全体が整然としてきたのだ。以前は、どこか乱雑感というのがあったのだが、今回、何が変わったというわけでもないのに、街自体がどっしりしていた。

そして、その感覚は、正しかったのだ。さらに、2019年の7年が過ぎ、ここpasayはSMモール方面に向かって、大きな発展をしつつある。高層ビルやコンドミニアム、ホテル、ファースト・フード店などが、圧倒的に量的に増えた。自動車の走り方も、マナーが良くなっている。2012年の落ち着きは、その後の発展の予兆を孕んでいたということだろう。 [/su_note]

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