【フィリピン訪問】フィリピンの「温(ぬる)さ」#21-0001

フィリピン-ピリピン

フィリピンの魅力は何と言っても、「温(ぬる)さ」にあると思う。
魅力としてとりあげているが、一方で、これが、見方を変えると、欠点でもある。

「温さ」という指摘をしていたのは、フィリピン移住歴、15年以上もある、アキラ先輩だ。
アキラ先輩は、フィリピンで11億を使い果たしたことで有名な、
フィリピン界隈の日本人には、そこそこ有名なYouTuberだ。

私は時折、気が向いたときに「アキラ先輩」のサイトにお邪魔させていただくことがある。
その折々の指摘に、なるほどなと納得させれる。

その「温さ」は、多くの場合、フィリピン人の特に女性たちに感じることが多いが。
「ぬるさ」とは悪い意味で使いたいのではない。言い換えれば、
それは「許し」とか「癒し」というものに端を発する別表現にもなっているとものだと思う。

私が、以前、アキラ先輩のサイトで指摘を受ける前には、
個人的に強く感じていたものは「癒し」を元にした「許し」の感覚だった。

とにかく、
フィリピン女性を表すとき、この「癒し」「許し」が、身体の芯までに浸み込んでいるようだと思うこと。だろう…と思う。

ただし、この「温さ」が悪い方に傾かないほど、強固な感性でもないのだ。
ときに、しよーもなさにも繋がる。基本的に、彼女たちとは固い約束はできないのだ。
常に、何らかの都合で挫折する。その場合、すぐに妥協の背中に隠れてみせる。
しかも明るくだ。つまり約束は、反故にされるケースが非常に多い。

そのことについて、
「何で、ちゃんと約束を守れないの…?」と詰め寄るのは、あまりに野暮というものだ。
そこで、腹を立てたりすれば、一般的に言うフィリピン人あるいは、フィリピン女性をまるで理解していないと言える。

約束を守らないといけないと思っているのは、
ゴリゴリの日本人だけに通じる理屈であり、世界という意味では、日本人は、
かなり変わっており、特殊なの事なのだ。少なくとも。
約束を守らないと怒るのは、恐らく日本人だけの特異体質だといえる。
世界は、自由なのだ。あまりに世界は、あまりに許容量が深く、広いのだ。
日本人は、そこに気づかないといけない。でないと、世界からは、異端に思われるのだ。

フィリピン人は、どう考えるのだろうか。一つの答えとして、
「ケセラセラ」だ。約束は、守れたら、守ればいいし、守れなくても、それでもいい。
何も問題ない。「だって、フィリピンだもの。」したがって、
細かいことには、いちいち拘らないのだ。

概ね、そういう考え方をするようだ。
その意味では、世界は恐ろしく多様であることを再認識させられるといえる。

フィリピンは、これでいいのだ。これで、充分幸せなのだ。
世界もそれを受け入れている。
世界というより「宇宙も」と言い直そう。

なので、
日本は、これまで通り日本の通りにそうってやっていけばいいのだ。
だって日本人だもの。仕方がないでしょ。


ただし、
と言って、思い違いをしてはいけない。例えば、
日本人のようにやることがすべて正しいと思うのは、
残念ながら、「宇宙」は好まない。ただそういうことだ。

それが証拠に、神もそれを強要することはない。
それでもなお、日本人は、日本人でいればいい。
なぜって、
私たち日本人は、あまりに制限が好きで、自虐的すぎるのだ。
だから、明るい顔をしている人が比較的に少ない。

そんなフィリピン人や彼女たちの考え方や振る舞い方に説教をしてはならない。
郷に入れば、郷に従わなければならないのだから。

こうした風土は、どこから生まれるのか、
その僅かな一端に、最近、気づいた。これはすべての回答というつもりで言うのではない。
あくまでも、全体のわずかな一部にすぎない。

それは、彼らの「甘いもの好き」による。

とにかく、彼らは、甘いものが好きだ。日本がどこか「醤油」臭いなら、
甘いものの匂いがする。なんにでも、砂糖を履んだんに使う。
パンでもスパゲッティでも、日本のように風味のメリハリがなく、
ベースは、砂糖がたっぷりなのだ。

このページに紹介しているのは、貧富の差に関係なく、好まれる
食事の仕方として、

Kape at Kaninがある。写真は、ブログにするからといって、
本日、彼女にあえて送ってもらった。

それが、砂糖味だけのコーヒーがけご飯だ。
Kapeがコーヒー kanin がゴハンだという。

生活費に行き詰まると、これを食べる機会が増えるらしい。
もちろん、多様な世界のフィリピンで、
それなりに生きる人によるだろが…。

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