夢見心地☆手放せていないものがある ★19#0151

フィリピン-ピリピン

   「困難、不和、障害などは、わたしたちがもはや必要としていないものを
    手放すのを拒否しているか、必要なものを拒否しているかのいずれかを
    示しています。」

   (「ザ・マスター・キー」チャールズ・F・ハアネル[著]
            菅 靖彦[訳] 河出書房 p195)

このメッセージには、私は、新たな指摘を受けたと唸ってしまった。
悩める多くの人も、きっとそうだろう。

原因は、すべて私たちの内側にあるという手厳しい指摘だからだ。

例えば、お金に困っているとき、それは、何かを買ったり、あるいは請求書に見合うだけの支払うだけのお金がないか、足りないという結果が、現象として起きてくる。従って、達成感もなく、所有感も手に入れることができない。
ただ、どうにかしなければならないという焦燥感だけが切迫してくる。

私たちは、いつもその外的環境とその事実に苦しむのだ。
このことに対して、ハアネル氏は、もはや必要としないものを手放せないでいるか。
手放すのを惜しんでいると述べているのだ。

何をだろうか。

欲しいものを諦めたり、請求書を破り捨てるという意味ではない。
お金がないという事実を心底、認めて絶望的になることでもない。

私なりに考えてみた。
この場合の困難とは

お金が足りない。不足しているという感情ではないだろうか。

私は、自身の経験からも言えることは、度重なる不足感を感じる中で、さすがに、
慢性的にそのような考えに陥っている自分という存在の認識に気づくことができた。

もちろん、願望実現の本によって、思うことが叶うのだと述べられていても、
特別な力が、
思いがけず働くのでなければ(=そういうことは、思いがけずしばしあるのだ。)、
魔法ではないので、やはり急場の支払いは、なんとか切り抜ける必要があるだろう。

その上で、その感情をずっと引きずることが、次のネガティブな外的な状態を、
また新たに生み出してしまうということあるので、充分な注意は必要なのだ。

ハアネル氏の言葉に次のメッセージがある。

   「実在するのは思考だけです。状態は外の現れにすぎません。」
        (前出:p189)

とある。繰り返しになるが、私たちは、私たちの抱く思考に注意をしなければならい。

として、そのお金が足りないという感情を生み出しているのは、何なのか。
それは、個人的な事情や差があるので、一概に言えないだろう。
だが、それを見極める必要はあるのかもしれない。

すべては、自分の中に原因があるからだ。

これについて、
トランサーフィンのヴァジム・ゼランド氏は、面白い対処法の一つを示唆している。

例えば、私たが前述したように、お金が足りていないという状態にあるとき、
私たちは、いまそのような人生ラインにいるものとする。つまり、
その人生ライン上のお金が足りないことを、常に経験する運命のシナリオを
体験しているとした場合だ。

ゼランド氏はシリーズの第3巻で、次のように言う。

   「シナリオ上のネガティブに思われる変化をポジティブなものとしてみなそうと
    意図することで、すべてはまさしくそのようになるだろう。」

 (「[振り子の法則 トランサーフィン]超スピリチュアルな夢実現/幸福獲得法
    ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)

これは、何を言っているかといえば、
お金がいつも足りないという状況を体験するシナリオで、
やっぱりそうなったかという、
約束どおりのネガティブな気持ちになるお金のない状態について、
それを喜んで受け入れてしまえと言っているのだ。

お金がなくて、困っている状態をなんで喜べるのか。

いままでの、私たちは、それを文字通り、ネガティブに困ってきたのだ。
「お金がない」と愚痴や怒り、不安に苛まれてきたということだ。
で、そこにばかりフォーカスしたとき、これが、どんな結果をもたらし、
どんな状態を引き起こしたのだろう。

少なくとも、事実は、再び、同じような結果を繰り返し産みだしてきたのだ。
ハアネル氏の言葉をもう一度、思い起こそう。

   「実在するのは思考だけです。状態は外の現れにすぎません。」
  (「ザ・マスター・キー」チャールズ・F・ハアネル[著]
             菅 靖彦[訳] 河出書房 p189)
なのだ。

だから、ゼランド氏は、その状態について、ネガティブに思い悩むのではなく、
むしろ喜んでしまえというのだ。

なぜなら、
ネガティブな状態に、文字通り悩み、思い、苦しんで、
これまでは、それでうまくいったのだろうか…。

違う!
結果は、いつもロクなことにならないことを、私たちは、うんざりするほどよく知っている。
ならば、その逆転した考え方をすることに、どんな意味があるのか。

思い悩む渦中にあって、そうすることは、とても難しいことだが、ひとつの苦しい状態に対し、
遮断が生まれると、私は思う。

苦しい状態に、苦しいという反応をせずに、喜んでみせるとき(=そんな状態を人生の勉強ができて楽しいと思うぐらいの感謝の気持ちなどを表すとき)、その苦しい状態の反応は、そこで一端、途切れるのだ。
そして、ポジティブな感情に置き換えることで、違う展開に変わる可能性が生じるのだ。

ゼランド氏は、続けて次のメッセージを述べている。

   「馬鹿げたとまではいかなくても、それほど説得力あるようにも思えないだろうか。
    明らかに敗北を喫したのに、どこがポジティブなものになり得るというのか、
    また災難に見舞われている最中に、どこがいいことだというのか。そうはいっても、
    この法則は本当に間違いなく働いてくれるのだ。」

(「[振り子の法則 トランサーフィン]超スピリチュアルな夢実現/幸福獲得法
 ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店:p194より引用)

と述べている。これをネガティブな状態をポジティブな思いで、埋め合わせる「調 整」という言葉でゼランドは位置づけている。



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夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
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https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

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