【フィリピン訪問記】フィリピンへの旅立ち #19-0004

エアー・ライン

成田発:不安な旅立ち

固い話が続いたので、やや軽い話をしようと思う。

12月のある日。
それがいつだったのか、もはや正確に思い出せないが、6日あたりの初旬のことだったか。事業を始めて、すぐに行き詰っていた金のない頃のことだった。
急遽、フィリピンの彼女に会うことになった。彼女の突然の国際電話で、フィリピンに行くことになった。それまで、一人で飛行機で海外に行くなんて言う経験がなかったので、どうにも不安だった。

この話は、いろんなドラマを抱えているので、いつかまた触れよう。
とにかく本筋を語ることにしたい。

朝、4時に起きて、成田へ行く。分からないことだらけだ。品川駅に着いて、駅員に尋ねると、成田行きは、13番ホームだと指示を受けたように思う。しかし気持ちがここにない。不安の方にあり、集中力を欠いていた。なので、はっきり覚えがない。

何より私にしたら、フィリピンに行くよりも、成田(空港)に行くこと自体が始めてだった。どうなる事やらという思いだった。

成田空港においては、分からないことだらけだが、とにかく人のやるように、ただ付いていくように流されていった。搭乗手続きも見よう見まねで、やり過ごした。手続きの間、行列の中にタガログ語を話す女性の姿を見て、安心したものだ。間違っていないようだと。

分からなことだらけでも、何とかなるものだと思った。空港の中をかなり歩いて、搭乗ロビーに着いた。待ち時間も充分あって、余裕もあった。彼女から指示があったように、搭乗ロビーから国際電話をした。電話の向こうで、息を弾ませ、砂利道をサンダルで歩く音が聞こえる。いまからマニラに行くという。現地は、朝の8時だ。

その後、4時間のフライトで、無事に現地入りできることを願った。機内で入国カードを書かされたときは困惑した。そんなものがいるのかと思った。よくしたもので、私の席の近くにいた日本人の中年の男性が、書き方の書式をみせてくれた。記入欄が小さく、書き上げるのに難儀した。エアラインは、フィリピン航空を利用した。

機内では、独特の香水の香りがする。CAさんが、新聞などを示して様々なサービスを提供してくれる。その様子を見て、私が彼女と知り合うことになったフィリピンパブのようだなと感じてふっと気分が盛り上がった。CAさんみんなが親しみやすいのだ。このエアラインは、とてもお気に入りになった。今後もフィリピンエアー・ラインがいい、そう思った。

エアーバスが、フィリピンに着陸すると、拍手が起こった。これも笑える。驚いたのは、着陸の仕方が、すごくうまかったことだ。「スーッ」と降りた。

あー、なんとか。フィリピンに着いた。この後のことも、人に付いていくしかない。ところが、入国管理局へ来ると、並び方で私は注意された。パスポートをチェックする、太った係員が、パネルを指さして、あなたは女性かと厳しい目で、私に促した。正直言うが、そんなもの観ていなかった。だが、列が違うということで注意を受けたことが何となくわかった。

出国手続きを終え、出迎えの人々の姿を見てひどく焦った。結構な人数だ。おかしなもので、フィリピン人がいっぱいると思った。すると、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。だが、どこか分からない。

後で分かったことだが、第2ターミナルでは、出口が前後2か所あり、彼女の待っているところから、運よく出られてよかった。反対からだったら、間違いなく迷子になっていただろう。

別世界

空港を出て、マニラからおよそ6時間かけてPanagasinanの彼女の自宅に着いた。その道中のことは、いづれ書きたい。このブログを書く動機になっている美しい世界を観たからだ。

フィリピンに到着して、およそ22時前後、彼女の自宅に着いた。確かに田舎だ。灯りが少ない。彼女のお父さんが、私のために大きな豚肉のご馳走料理を用意して待ってくれていた。しかし、夜も遅く、途中の道中で、ファースト・フードに寄って食事を済ませていた。食べるように言われたが、食べられなかったので遠慮した。お父さんの好意を素直に受けることができず。申し訳なかった。

正直言えば、暗い場所で、せっかくのそのご馳走を見たのだが、何かどす黒い汁の中に漬かっており、ハエも多くかった。お皿で蓋はされていたが、私は、かなり神経質なので、食欲もなかったのは事実だが、ちょっと口にするのが不安でもあった。それが後ろめたく、今でも申し訳なく思っている。

そのお父さんも、数年前に亡くなっている。物静かなお父さんだった。亡くなったと知らされたときは涙が込み上げた。これもいつか書きたい。

ラジオから流れるロマンティックな歌

本日の題目で書きたかったのは、この章だ。12月なので涼しく、ほとんど汗もかかなかった。今日は、まず寝るだけだ。「明日になるのを待とう!」彼女の6畳ぐらいの部屋で、部屋の大半を占める大きなベッドに彼女と子どもたちと一緒に寝た。

私が目覚めたとき、ラジオから大きなボリュームで、現地の歌手の歌が聞こえる。ドラマチックな朝だ。ご近所に完全に聞こえる大音量で、歌が流れている。なんとも優雅な朝なのだ。鶏の鳴き声も聞こえる。牛の鳴く声も遠くから聞こえる。のんびりした朝の光景に、
まるで外国映画のようだなと思った。感動した。まるで詩のような世界だ。

「あー、いよいよ来てしまったのだな…」と思った。この田舎町には、日本人などめったに来ない。おそらく私がはじめなのかもしれない。ご近所さんの人々が私の姿を見ると、「あー、日本人だ!」みたいな顔して私を見るのがおかしかった。

ここで、話す言葉は田舎の言葉で、タガログではないらしい。都会育ちの彼女でも、ほとんど言葉は分からないという。ただしフィリピンでは、タガログ語が標準語なので、一応困ることはないという。あと英語も通じるとのことだ。フィリピンでは、ほぼみんなが、バイリンガルな人たちなのだ。私は、英語もロクに話せないというのに。

見たい世界を観ている

私は、素敵な朝を迎えた。不安ばかりが募った旅行だったが、来てよかったと感じた。日本にいたら体験することのない事ばかりを体験したからだ。この時私は思い始めていた。
私は、見たい世界を私の深い意識が望んで、ここへ導いたのだということを感じた。私が来たいから来たというのは、ちょっと違う。普通はそう考えるだろう。

実は、私の深い部分の意識がここへ導いたのだということが、後にリアルに感じることとなった。いづれそのあたりも記していこう。私の深い部分での意識がここへ来ることを選択し、後の私が学ぶべき試練を用意していたということを理解した。それはある意味で宿命のようでもあった。それはかなり長く厳しい試練でもあったのだ。今なおも。

☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ

入国審査カードの書き方の書式例は、持っていた方がいい!

[su_note note_color=”#fffad9″ radius=”6″] 国内線の飛行機に乗るときは、まず意識することはないが、海外へ行くときは、入国審査カードや税関申告書などの書き方の書式例などは、持っていた方がいい!ボールペンは、先の細いものが必要だ。記載するところが、非常に小さく書きずらい、ボールペンよりも、デザインペンの極細ペンがおすすめだ。

また書式の大きさ、ポストカードぐらいの大きさで、ほぼ毎年のようにデザインが変わるが、記載する内容は、ほぼ一緒のはずだ。最近では、記入が必要とされている項目の箇所に英語だけでなく、韓国語や日本語でも記載されているようだ。[/su_note]

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