フィリピン・彼女のお母さんのお墓参り その3 2012年代 #19-45

ハロウィーン

彼女のお母さんのお姉さん(叔母)に会いに行く

親戚筋のおばさんの案内で、彼女のお母さんのお姉さん(叔母)が、病床であえいでいるということを聞いた。彼女は、叔母にぜひ会いたいということで、会いに行くことになった。なぜなら、叔母は、この先、そう長くないらしいことを聞いたからだ。

タクシーの運転手は、ここでも腰を軽く、彼女の指示に従って、やはり車で10分ほどの集落に行ってくれた。ここへやってきて、私は、何となく胸が詰まってきた。

そこは小さな路地を数本抱き込んでいる集落だ。お互い路地を挟んで、貧しい家がいくつかそこに立ち並んでいた。タクシーの運転手は、ここのかなり細い道を器用に切り返しながら、用が済むまで待ってくれるということになった。親戚筋のおばさんが、彼女に、叔母の家は、こっちだと案内した。

私は、何となく叔母の家というのがそこではないかと直感していた。探すまでもなく、ひときわ小さな家がそこにあったからだ。きっとこんな感じの家にひっそり住んでいるのではないかと思えたからだ。そして、事実そのとおりだった。

フィリピンで充分貧しさを体験し尽くした叔母の生きざま

叔母の家は、背丈ほどの恐ろしく小さな家だった。中に案内されてはいると、2畳ほどのスペースしかない部屋だった。さらにもう2畳ほどのスペースがあり、ベッドらしきものがあった。

叔母の寝ている部屋に窓はあっても、固よりガラスなどは、嵌め込まれてはいない。ただ風通しのための窓があるだけだ。その窓の手前に昔で言うリンゴの木箱くらい大きさを縦に二つほど並べたくらいの粗末なベッド状のものがあった。そこに、彼女の叔母が、身体を横たえていた。

突然の来客にややびっくりしたように、ゆっくり身体を起こした。彼女は、やせ細った叔母を抱いた。「叔母さん元気だった。」「私を覚えている?」というようなことを聞いているらしかった。しばらく叔母は、分からなかったようだが、次第に、彼女の呼びかけに、記憶が戻ってきたようだ。彼女を思い出したように、頷いたり、話をしていた。

叔母は、すでに身体を半分起こしていた。白髪でいっぱいの伸びた髪を自分の手で、ゆっくり撫でつけた。生活苦でも、病床にあっても、まだ身づくろいを気にして私たちを迎えたいと思ったのだろう。この叔母の家や、格好から、どう見ても貧しいことは見て取れた。

小さな部屋には、生あたたかい空気をただかき回すだけの扇風機が一台、首を左右に振り力なく動いている。この集落の誰かが、私たちのためにここへ持ってきてくれたものだった。部屋がムンムンするからだ。

死を覚悟した叔母の姿

彼女が後で言っていたが、叔母は、お金がないので病院にはいけないから、こうしてじっと「その時」が来るまで待っているのだということだった。叔母は、悟ったような表情を浮かべていた。彼女は、明るい声で話しているが、抗えない人の運命に半泣きしているようにも感じた。その流れで、叔母に子どもたちを紹介した。ついでに私も紹介された。

そして叔母に「元気になってよ」と恐らくそう励ましていたようだ。彼女の言葉は分からないが、今までの付き合いから、彼女の思考体系は、概ね読めるので、そういう内容なんだろうと思えた。そういう空気も感じた。それがどれほどむなしいかは、彼女自身も分かっていたはずだ。叔母は力なく微笑んでいる。

私は、この国には、人の心の情緒を育むいろんな人生があるということを知った。まるで映画の1シーンのようなことも、あるいはまた、人に感動を与えるようなこともすべて用意されているのだなと改めて感じた。

人生最後の時を迎えた人を見届ける

私は、彼女の叔母の姿を見て胸が詰まっていた。私はこの叔母の最後の姿を見届けに来たのだなとつくづく感じた。もう長くないとも感じ一所懸命こらえていたが、目に涙があふれてきていた。そしてその姿を彼女に見られた。「マッチャン ナカナイデ…」と彼女に言われ返って涙が止まらなくなった。その彼女の言葉に、子どもたちが、私を見た。

勝手に涙がこぼれる。叔母は、短いひと時を彼女との片言のような言葉に託していた。心なしか、叔母は彼女と話をし元気になったようだ。恐らく30分以上は、そこにいたのだろう。そろそろ引き上げるとき、彼女は叔母の頬にキスをした。「また、来るからね。だから元気になってよ」と言っているようだ。彼女は、そういう気遣いをする女性だ。

私たちが外へ出ると、近所の人たちが、この叔母のところに、来客があったことを物珍しそうにして、大勢集まっているので驚いた。そして私たちはタクシーに乗り込み、そこを離れた。親戚筋のおばさんの道案内で、その親戚筋のおばさんの家まで送り、そこで別れを告げた。

私たちは、ホテルに帰った。

☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ

フィリピンの人情は、気高さのエビデンス!

私が、フィリピンやフィリピン人を好きなのは、彼らの人情味豊かな感性にある。ここには、もし彼らの生活意識に、私たち経済的に恵まれた日本人が、一度でも首を突っ込んでしまったら、どんな小説にも描けないほどのたくさんのリアルな物語を観ることになるだろうと思う。確信してそう思う。

そしてこの国の貧しさを通じて、心豊かになれる情操教育が、ここではなされているのだということに気付くに違いない。

タイトルとURLをコピーしました