フィリピン・再びManaoag へ #19-0027

聖地Manaoag

またManaoagへ行こう

再びフィリピンに来て、何日目だろう…。また、Manaoagへ行こうということになった。私が、誘ったという方が正しい。信仰の深い彼女が、反対することはない。喜んでいる。 なぜ、またManaoagなのか。いま改めて考えた。この記事を書くために、3日ほど時間をかけた。そしてある一つの結論にいきついた。

私自身が「信じること」「信じることへの信仰」を持つことは大切だという概念を持っているので、Manaoag行きは、彼女も行くことに賛成してくれる。私自身は、カトリックでも、そのほかの宗教とは無縁一切無縁だ。あえてそこをまた強調しておく。

無条件に、信じることの大切さ

ただ信じることが大切だということ。それは私にとってもっと関心のある成功法則にとって、重要なキーになっている。それは頭で理解できているが。私の深い部分で、なぜか腑に落ちきれていない部分があり、それを打ち破りたいともがいている。その焦りのようなものが、再びManaoag行きを望んでいるのかもしれなかった。

その朝、前回同様、Manaoagへ行くことを聞きつけたご近所さんが、2-3家族やってきた。母親が、各親が幼い子どもを2-3人を連れてくるという感じだ。やはり今回もトラックの後ろにみんなで乗った。彼女も、今回はここにいる。そして日焼けするのを非常に気にしている。

12月中旬のこと。日本では大晦日で、寒い時期だ。ここでは、半袖のシャツ姿。短パンは駄目と、彼女に諫められ、ジーンズを履いている。ちゃんとした格好でないとダメなのだ。
彼女に怒られる。トラックが出発するまで、じっとして直射日光が当たっていると、痛いような暑さがある。走りだせば、やや寒くなるくらい、大気は穏やかだ。

Manaoagへ向かう道中

道中。枯れた川のようなところの土手を走る。車両がやっと1台通れるほどの道を、5分くらい走り抜ける。そこを抜けると、大きな通りが幾重にも交差している通りに出る。地平線が見えるなどと言えば、オーバーだが、そのくらい周りに空間を走り抜ける。

ほぼ1時間ほどして、前回来たあのManaoagに再びやってきた。信者の方たちが、そこそこいる。教会の中に入ると、葬儀のようだった。喪服姿の人たちが一塊になって、神父の祈りに耳を傾けているようだった。このような荘厳な場所で、葬儀をできるというのは、そこそこ資産のある方なのだろうと思った。

そして、Our of Lady Manaoagの場所に来て、彼女は、さっさと祈りを捧げに中央に進み出て、両膝をついて祈りだしていた。二人の子どもたちもマミーの傍へ行き、何やら祈っている

祝福を受けた

すべてが前回来た時と同じように、すべてが執り行われた。「マッチャン キテ」というのでついていくと、もうすぐ司祭なのか司教なのか分からないが、地位のある偉い人がくるという。一緒に祝福を受けなさいという。まもなくすると、その需要人物が現れて、何かを祈りだした。

祝福を受ける

その偉い方は、ちょっとした小さなステージの中央にいる。付き人のような人を伴って、祈りが終わると、その偉い人を取り囲んている信者に対し、聖水をかけ始めた。私と彼女もその聖水を受けた。聖水が顔に降りかかる。わずか5分くらいのことだが、信者たちはかなり集まっていた。

その後、前回も入った資料館のようなとこへ行った。やはり行列ができている。2列づつで、かなり長い行列だ。数分待つと、中に入ることができた。そして、何の穴か分からないが、また手を入れた。肘まで入る深い穴だ。前回、気づかなかったが。キリストの像があり、弟子たちの像も展示されていることに気付いた。

また土産物コーナーで、彼女は、ネックレスを買い、私にキーフォルダーのようなものを買ってくれた。そして、みんなで食事をした。こうした緑豊かな神聖な場所で、食事をするのは良いものだった。私はサンドイッチのようなものを彼女からもらって食べた。

キリストの像を買ってあげる

食事を終えて、正門の方へ、彼女と行った。そこはいろんな店が通りに並んでいる場所だった。大半が宗教的な装飾品のようなものが中心だが。果物なども売っている。そこで、彼女が私におねだりした。「コレ カッテイイ?」といったのが、キリストの十字架に貼り付けされている像だ。「いいよ、買って!」

彼女は「アリガトウ」と告げた。その像は彼女の家の玄関に今も飾られている。ありがたい。私は、私で、なぜ、あえてここに来たいと思ったのかを考えてみた。それが冒頭にあった、なぜ、またManaoagなのか。その意味を考えてみた。そして、その答えが見つかったように思う。

再び、ここへ来た理由を考えてみた

2005年の12月に来て、その2年後の12月に再びここへ来た。その理由は、彼女との縁について感謝の気持ちを告げに来たのだなということに気づいたことだった。だから、この教会の司祭の方に、祝福の聖水を浴びることができたのだなと思った。

私の思いは、これからも
「彼女との縁に感謝をしています。ありがとうございます。」だ。

☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ

宗教的な縛りがなければManaoagへ行くと心が洗われる…

もし、あなたが特別な宗教に関わっていないのであれば、その制限を受けないのであれば、フィリピンに来たらどなたも一度Manaoagへ立ち寄ってみることは、良いかもしれない。独特の静寂と荘厳の中に、鏡の中の現実にいる私自身と向き合うチャンス与えてくれるだろうから。こういう私は、いまだに特別な宗教に属してはいない。

ただ私は、無宗教であっても、無神論者ではない。目に見えない大きな力というものの存在は信じている。それは物理的現実の中に鏡となって現れている。その解釈は、常に自由だ。

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