フィリピン・パブ☆シショウとともに行く #14

フィリピン・パブ

私は、友人Sを店の中で呼ぶ際にシショウと名付けた。

浮気をし、加えて言うなら、仕事もできるが。
一方で人の良いオッサンでもあり、若い娘が特に好きということを前提に
したことだが、風貌がどことなく落語家の故古今亭志ん生師匠(シショウ)に
似ていたことからもそう呼んだ。

彼も、そう呼ばれることがまんざらでもないようだった。
フィリピーナたちからすれば、
そのシショウの意味するところが、分かるはずはない。
ただ、私がそう呼ぶことに対して、店のフィリピーナたちや、
ちいママも「シショウ」と呼ぶようになった。

もちろん、この店に来る前には、軽く二人で近くで飲んだ。
そこそこ酔っぱらって、店にやってくる。

私は、彼女を指名し、彼にも、店に来る動機を根付かせるために、
ちいママお勧めの「マリー」を指名させた。

私は、シショウと、一緒に伴ってやってくるが。
もちろん一人でも、来ることもあった。
その意味で、生活上の苦しさは、依然、続いている。

ただ、彼と一緒のときは、彼が負担をしてくれているので、
そこはありがたかった。

その意味で、
なるべく、シショウと来たかったのだ。彼の指名作戦は、彼はお気に入りでも、
若干、マリーとの間にズレがあった。その頃は、浮気相手とは決定的に破局状態にあった。

何でも、その浮気相手が、あまり望まない相手と結婚しようとしていたということが、
彼の悩みの種だったが。

彼女のまっとうな結婚に焦る気持ちが、シショウからどんどん離れて行く要因に
なっていたので、彼も、あきらめつつあった。

そんなとき、マリーを指名するようになった。
ちいママも、私とシショウがくれば、黙っていても、彼女とマリーを席に着かせた。

シショウは、シショウで、気づいたら、マリーと同伴をするような仲にもなったが。
一見うまくいっているように見えても、どこか、しっくりこない。

これまで特に説明をしてこなかったが、
フィリピン人は、ほぼ8割以上がカトリック教徒で。
特に、島国であるフィリピンのもっとも、メインの島であるルソンでは、
ほとんどがカトリック教徒らしい。

とはいえ、
スカーフのようなものを被っているイスラム教徒の女性たちも、
そこそこ混在はしている。
フィリピンに行けば、町などで、そうした女性を偶に見かける。
そして、
フィリピン諸島の南端にあるミンダナオ島のその最南端にあるエリアが
イスラム教の影響を受け信仰する人々が多く住んでいる。

もう少しフィリピンに踏み込んだことを言えば、
国自体が貧しく。マカティやケソンなどの著しく外国資本の入った
地域とは、貧富の差による二極化が進んでいる。

そして、
マニラの一部には、はっきりスラム化した地域もある。
そこでは、鼻をつくような異臭が漂い。自動車が相互に行き交うが、
その道路にはみ出して、生活している。

仕事らしい仕事もできずに、何もすることがない男たちや女性たちが洗濯をしていたり、
子どもたちがが水浴びをしている。中には、服を着ていない幼児が、
活発に走り回っていたりする。

少年たちは、空き地でバスケットボールする姿をよく見かける。
そのエリアでは、貧しさというものの深刻さを、これでもかと見せてくれる。

話が脇道へ逸れてしまったが、フィリピン人は、ほとんどの人が、神の国の人々であり、
男性には、あまり感じないが、女性たちは、神を信じている。
特に、Cristyは、経験なカトリック教徒だ。教会にも、よく出かける。

ここまで何を書きたかったかというと、フィリピーナの女性たちは、基本的には、
真面目なのだ。明るく、ときにおふざけモードで騒ぐが、根はまじめなのだ。
明るいのは、単に国民性だ。

そして、彼女から初めてタガログらしい言葉を教えられたのが、
「ケセラ セラ」を意味する。「イ カ ワン バハラ」(何とかなる/あなたにお任せ)である。
正確ではないかもしれないが、彼女曰く、そんな意味らしい。

つまり、シショウとマリーの二人の微妙なズレは、
いわゆる「何とかしたい」の気持ちが、彼女との接し方に妙に強く表れすぎて、

真面目さを大切に生きる神の国のマリーからは、
シショウは浮ついており、やや警戒されていたのかもしれない。

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