違和感のあった「ご飯食べた?」のあいさつ
私が、フィリピンに戻った彼女とあいさつしていて、奇妙だなと思ったことがある。
それが、「ご飯食べた?」という問いかけだ。この言葉は、日本語の「元気?」と尋ねるよりも優先する言葉なのだと気づいたときに始まる。彼女は、フィリピン人として何気なく習慣的に、言っている言葉なんだろうと思うが。
日本人としての私は、彼女の会話に必ず出てくる。ほとんどあいさつ文のような、必ず出てくる「ご飯食べた?」に、すぐ違和感を感じるようになった。不快というような意味でなく、それあいさつとしては、国民性としては、妙だなと思ったことによる。
タガログ語で。実は、私はタガログ語をほとんど知らないが。彼女から教わった言葉の一つに、この「ご飯食べた?」がある。タガログ語で、Kumain ka na ?(クマイン カ ナ)と言うそうだが。この言葉を教わった。
私は、彼女から、それ以上の意味合いを聞いたわけでないが、彼女との会話を重なるうちに、非常に意味深い言葉なのだと気づき始めた。
フィリピンの気候
フィリピンは、周知のとおり赤道に近い南国だ。一年を通じて暑い。3月中旬、4月、5月、6月は、かなり暑いと言う。日本の7月中旬、8月、9月下旬を知っている彼女は、日本の暑さも体験しているが。その比ではないようだ。現在、skypeで話していても、暑いとこぼす。普段、弱音を吐く女性ではないが。いまは口に出して言うほど暑いようだ。
Skypeでおでこにこんなに汗が溜まっているよ。「ミテ(見て)」と指摘するほど、汗が噴き出るようだ。この気候の中で、南国らしいマンゴやパイナップル、バナナ、など南国独特の果物などが豊富にある。また農業も盛んで、二毛作ができるようだ。しかし、すぐに土地が枯れてしまうので、現在は、二毛作をほとんど行わないようだ。
土地を休ませるし、お米だけでなく、土地や季節を念頭に、トウモロコシなども植えたりする。現在6月は、お米のシーズンで、9月末には、収穫できるらしい。そのあと田んぼを休めて。別な土地で、トウモロコシなどを栽培するようだ。トウモロコシの方が、ビジネスとしてはいいらしい。
フィリピン・気候の試練
こうした自然からの豊かな恵みがある環境にあっても、すべてが手放しで順序良く運び、滞りなくうまくいくわけではない。気候は時に、私たちに神の意志を担って、試練を賜る。天候不順だったり、台風などが次から次へとやってくる。事実、2019年の2月末から、現在もマニラでは、水不足に悩まされ続けている。まだ完全復旧とはなっていないようだ。
彼女の田舎では、本日より、レイニーシーズンとなったと、天気予報で聞いたそうだ。そのように彼女は言っていた。彼女の田舎でも、気まぐれなエルニーニョ現象により、一時期、水不足の懸念もあった。しかし現在は、問題がないようだ。よほどの台風が連続して来なければ、お米のそこそこ収穫が見込まれる。実は、去年はお米が不作だったという。
南国には、南国の試練があり、すべてが豊かな食材に恵まれること、あるいは無条件で、人生を謳歌できるわけでもない。荒れた天候で、一生懸命に手をかけた資本もそこそこ使った農作物が、何の苦も影響もなく収穫できるというわけではない。貧しさが、貧しさを産むこともある。
フィリピン人の”Kumain ka na ?(ご飯食べた?)”の意味には、ご飯を問題なく食べられていますかという意味合いがあるようだ。もう少し突っ込んだ言い方をすれば、助け合いの言葉として、人を気遣うように、困ったときはお互い様だからねと。あいさつのように使われているのだ。
フィリピンの歴史的な苦難の時を経て
私は歴史学者でもないし、あくまでも個人的な偏った推論だと事前に申し上げておくが。1500年代には、ヨーロッパ(特に、スペイン、ポルトガルなど)から始まった世界大航海という世界制覇の野望の時代があった。
ここで難しいことをあえて言うつもりはないが、フィリピンは、スペイン領となったこともあり、現代史では、アメリカの植民地時代も経験している。
その苦難の歴史の中で、フィリピン人同士は、列強に支配されながらも、不屈の中にあって、お互いがお互いを気遣える国民性として、時代が負った受難を乗り越えてきた歴史的背景をもつのではないかと推察している。
それが、気候の必ずしも安定しない、自然による試練なども併せて請負いつつ、「ごはん食べた?」「ご飯を食べられていますか?」という、本来であれば、(元気ですかやこんにちはなどの)一般的なあいさつより、まず優先する文化を生み出しているのでは、と。あるいは無意識にそれらを反映しているのではないかとつくづく思わされる。
つまり、彼女から習慣的に聞くこととなった「ご飯食べた?」「ご飯、何食べた?」に違和感を感じたものの正体なのかなと勝手に思っている。私は祈る。フィリピンに豊かさと繁栄が、平和
☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ
気になった”ka kain tayo?”の言葉の深い意味とは?
[su_note note_color=”#fffad9″ radius=”6″]彼女の家に来てから、何日目だろう。2-3日後のことだが、サロンで、何を言っているのかまるで分からないテレビ番組をみているとき、彼女が私に塩をまぶした豆類をくれた。しばらくすると、3番目のオニイサンがテレビのあるサロンに何気なく やってきた。
彼女は、3番目のオニイサンに豆を少し分けてあげてという。「なんて言えばいいの?」と聞いたとき、彼女から返ってきた言葉が”ka kain tayo?(一緒に食べて!)”だった。後で、感じたことだが。この言葉にも”Kumain ka na ?(ご飯食べた)と同様に深い意味を反映しているように感じた。
それは、フィリピン人には、彼らの気質の中に、共生の精神、助け合いの精神があるように思えたことだ。こうした言葉の意味だけでなく、全体として、フィリピン人の態度には、総じてhospitalityを感じる。特に彼女には、強く感じる。 [/su_note]