「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド著 山川紘矢・亜希子[訳] 飛鳥新社)の前書きには、著者自ら「読者の皆さんへ」の中で、以下の指摘をあえてしている。それは、
「ページの中に、説明のできない『何か』が確実にあります。そしてそれがすばらしい霊力を持ち、読者にダイナミックな確信と気づきを与えてくれます。」という部分がある。
(「マスターの教え」ジョン・マクドナルド著 山川紘矢・亜希子[訳] 飛鳥新社)
確かに、この本には、言われてみれば、”何か不思議なムード”を持っているのだ。
決して”怪しいムード”なんかではなく。豪奢でさえある品のある”不思議なムード”だ。
その一例が、
主人公の「私」の友人が、初めてマスターと出会うシーンの劇場での出来事だ。
安い切符を買った友人が、「何か説明のつかない理由」でボックスシートの切符を受け取る。
それについて、
「こうしたとても不思議なことは、誰の人生にもよく起こることです。」(前出)
と、このあともマスターとの出会いについて友人の独白が続くのだが。
付け加えで言うと、
前述の物語の部分では、後にそれがマスターにより意図されたものだったことがわかる。
単にフィクションのストーリーじゃないかと安易に思わないでいただきたい。
余談だが、私も、数年前に、外遊する航空券でエコノミーで買った切符が、なぜか片道、ビジネスクラスだったことがある。有難いことに、食事もその待遇だった。私の場合は、単なる航空会社の都合だったのだろうが。席はともかく。食事までビジネスクラス扱いだったのは、想定外で、ちょっと有難いを超えていた。
その時、
私もマスターに出会えたら良かったのにと、今は思うが、それ以上のことは、
実際は、何も起こらなかった…。
ただ当時の私としては、なんだか落ち着かなかった。
私は、この「不思議なことは、誰の人生にもよく起こることです。」とほぼ似た内容の文言を今朝、「信念の魔術」(C.M.ブリストル著 大原武夫[訳] 秦郷次郎解説 ダイヤモンド社)の中から、見出し、胸にワクワクするような感じと余韻が蘇った。
「この世の中では、なにが起こるかわからないものです。
すべてについて明るい期待を持っていれば、予想外のことが実現するうえに
大いに役立つものです。」
( 「信念の魔術」C.M.ブリストル著 大原武夫[訳] 秦郷次郎解説 ダイヤモンド社より引用)
というのが、それだ。
私は、「信念を持つ」ということの難しさについて、考えていたのだ。
いやずっと、ずっと考えている。
成功法則の中では、この「信念を持つ」ことが極めて大切だからだ。なるほど「信念」か、と。
頭で理解するのと、それをすんなり盲信して、「信念」を抱き続けることには、
近くて遠いパラレルな距離がある。「信念を持つこと」は、案外、難しい。
だが、信念を持つためには、あるいは、信念を強固にし高めるためには、
実は、簡単な方法だけしかない。それが唯一の方法なのだ。
もっとも価値のある方法だ。疑いを持たずやってみるのがいい。
私たちは、生まれた時から、それを受け取っている。最高のツールを与えられていたのだ。
あまりに簡単すぎるが、そう思うのは、贅沢すぎる話なのだ。
それは、くり返すことと、イメージ法だ。
ともに、潜在意識に植え付けるための重要な技術だ。
根気よく行うしかない。
前述のC.M.ブリストルは、著作「信念の魔術」(前出)の中の前段で、
第1次大戦の服役の際に、まったくお金がなく苦労した著者は、
「除隊のあかつきには、『どっさり金をもうけてやるぞ』」と、決意する。
その後、決意を信念にまで高める過程で、次のように述べている。
「年月を通じて私の心眼にはたえず財産というもののイメージがあって、
寸時も心を離れなかったのです。この心眼のイメージということを、
とくに心にとめておいていだだきたいのです。」
( 「信念の魔術」C.M.ブリストル著 大原武夫[訳] 秦郷次郎解説 ダイヤモンド社より引用)
さらに、加えて、
「多くの人は、心がぼおっとしてうつろなとき、たとえば電話で話をしている
最中などに、そばにある何かのノートの紙きれなどに、わけのわからない線を
引いてみたり、意味のない妙ならくがきをよくするものです。
私の”らくがき”は、
机の上のあらゆる紙きれに$$$$$―$$$$―$$……と、
ドルという字の際限ない連続でした。」
( 「信念の魔術」C.M.ブリストル著 大原武夫[訳] 秦郷次郎解説 ダイヤモンド社より引用) とある。
ともかく、やってみることだ。