夢見心地☆望まない状況や現実は、なぜ現れるのか。 ★19#0119

フィリピン-ピリピン

私たちが日々、思い描く思考には、充分な注意が必要なようだ。

およそ百年以上前に書かれた本の記述の中に次の示唆がある。

   「状況を変えたければ、思考を変えさえすればいいのです。
    それがわたしたちの心の姿勢を変え、ひいては人格を変え、わたしたちが
    人生で出会う人間、物、状態、経験を変えていきます。」

      (「ザ・マスター・キー」チャールズ・F・ハアネル[著]
              菅 靖彦[訳] 河出書房 p266より引用)

ここには、私たちの意識世界についての鋭い洞察が述べられている。
前述の本を読むと、この著者のハアネルが、とても100年以上も前に生きていた方とは思えない、現代にも通じる見識を述べていることに非常に驚く。

私は、この方から上述した引用箇所を読んだときに、トランサーフィンのヴァジム・ゼランド氏の示唆を思い返していた。
キーワードは、舞台装置で。必然的にリンクしたのだ。

   「わたしたちが人生で出会う人間、物、状態、経験を変えていきます。」(前出:)

とは、ゼランド氏のトランサーフィンの概念で言う、
人生のシナリオの中に格納された舞台装置を構成するものの示唆と合致する。

ゼランド氏は、私たちの物理的現実をバリアントの空間の概念によって説明している元量子物理学者だが。

そのバリアントの空間とは、まるで細胞のように無限数に細分化されたセクターがあり、そのセクター内には、私たちの人生のシナリオとそのシナリオが実行される舞台装置があるという。
隣り合うセクターは、微妙にわずかな違いを有しており、それが人生のシナリオの現れ方に微妙な分岐を生みだしわずかな違いとなる。

ぜランド氏は、私たちが体験する物理的現実の現れ方は、このセクターの要素を通じて現れるとしており、このバリアントの空間の無限数の全体、つまり各セクターのシナリオが、私たちの物理的世界を現実化する装置だとしている。

このトランサーフィンの概念を、これ以上、しかも簡単に説明することはできない。仮にできたとしても、こうした概念を受け入れる素地の全くない方には、いくら説明しても、意味がないだろう。ただ自分を取り巻く世界について、これまでの社会環境や教育などで培った固定観念を一旦捨てる勇気は必要だろう。

ぜひ、
トランサーフィンの世界に興味を持ち、真に理解したいと思うのであれば、やはり直接、当該書籍によって、正確に理解をしていただきたい。

そのとき、あなたは、これまでの世界観を大きく変えるだろう。

ただ私にできることは、ちょっとしたポイントについて、著作の一部を引用してみたり、私なりの興味を反映させ、スポットを当てて紹介してみることだけだ。

私は、ゼランド氏の言う。「舞台装置」という概念に大変興味がある。
特に、私が映像の仕事をしていた関係で、馴染みやすいのだ。

なぜ、ぜランド氏の概念に興味があるのか?

一番に、この私たちの現実が、確かに日々移り変わっているということが、
如実に分かることが目安となっているからだ。

そもそも、
私たちは、望まない物理的な現実に対して、様々な不平や不満、疑念など、
あるいはポジティブな意味では、幸せだと思うことがある。

私は、私自身の日常から、ふとその変化の目安となる舞台装置の変わりように、
気づいたのだ。

このブログに数度と書いてきたので、また書くというのは、ちょっと憚るが、
それでも、同じことを毎回書いてきたとは思っていない。それぞれに思うことが異なっているからで。その意味では、一定の類似はお許し願えると思う。

私は、数ヶ月前まで、私自身の状況の必要性から、望んでいないかったが公的な空間での場で、パートで清掃の仕事を行っていたことがある。以前そのことに触れた。

現在、私は、そこには全く居ないで。また新たな仕事をパート職で見出した。
私はいま、以前と全く異なる空間の中で、物理的現実を体験している。

そこには、あきらかな人生ライン上のシナリオの変化がある。
そして、舞台装置、つまり物理的環境、そこでの人との出会い、様々な時間の使われ方、
思考の流れの変化などが、大いに変更されつつある。私は、この新たな物理的現実の中で、
シフトしたのだな…と、つくづくと実感した。

私は、注意深く、自身の周りを観察すると、緩やかに変化していることに気づく。
このシフトは、どのようにしてなされるかを思うとき、私たちの思考の変化に由来していることにも気づかされる。平たくいえば、それは「私たちの選択」に由来しているということだ。

ゼランド氏の概念によれば、

   「思考エネルギーの放射は潜在的バリアントを物質化する」
    (「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」ヴァジム・ゼランド[著]
          ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店 p50より引用)

ということを意味し、それがシフトの動力源になっているようだ。

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