夢見心地☆フィードバック回路の罠がもたらすものとは… ★19#0118

shinakagawa isle フィリピン-ピリピン

大都会の大きな窓ガラスのある喫茶店など、内側から、ふと窓外を見ると、多くの男女が、
こちら側を見ているような錯覚に陥ることがある。実際には、喫茶店は日差しの溢れる外より暗いので、外側から見えるものは、窓ガラスの内側にいるこちらよりも、窓ガラスの照り返しで、鏡のように映った自分の姿を見ている場合が圧倒的に多い。

特に、女性にその傾向が多いようだ。
中には、髪に手をやったり、あるいは身体の状態を少し捻って、
どう映っているかを確認している人もいる。

人は、鏡に映った自分の立ち居振る舞いの姿から、なかなか抜け出ることができない。
良くも悪くも、すべて望みどおりであっても、まったく望み通りでなくても、
案外、自分にうっとりしているらしいことに気づかされる。

そんな鏡のある一面については、
フィードバック回路の罠があるとして、
トランサーフィンシリーズのヴァジム・ゼランド氏のメッセージは、
鋭い示唆を浴びせかけてくる。

フィードバック回路の罠とは、
「人が鏡に支配されること」の問題点を指摘している。

  「鏡の前に立っている人は、自分自身の内側から眺めようとはせず、鏡に映る姿に
   注意を向ける。」
     (「トランサーフィン『鏡の法則』」ヴァジム・ゼランド[著]
           ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店 p190)

と述べ、そこには、ちょっとした罠が潜んでいることを示唆している。

鏡に映った自分に魅了されているとき、そこには、

    「思考の形(イメージ)ではなく、反映」
(「トランサーフィン『鏡の法則』」ヴァジム・ゼランド[著]
    ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店 p190より引用)

そのものに、支配されているということだ。

ゼランド氏が問題にしているのは、そのことが、即問題だといっているのではない。

   「まるで魔法にかけられたように、自分のコピーに見入ってしまうからだ。
    オリジナル自体を変えることが可能だなどとは思いも寄らない。反映の方に
    注意が釘づけになるため、私たちは、自ら進んで望んだわけでないものを
    受け取ってしまう。」
(「トランサーフィン『鏡の法則』」ヴァジム・ゼランド[著]
    ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店 p190より引用)

少し余談に逸れるが。
鏡に映った自分を眺めるとき、多くの人は、自分自身に何らかの不満はあっても、例えば、鼻が低いだの、脚が短いだの、顔がデカイだのと。そうは言いながら、概ね、案外、絶望はしていないものだ。

なぜなら、自分自身に何らかの弁護をするように修正をかける働きが作用し、
正常なら、現状の自分を打ち消すように思い込み機能が働く。
結局、自分は悪くない。自分のせいではない。たまたまこうなのだ。

だから、ちょっと目がパッチリしたら、もっと美男・美女になれるはずだなどと、本来の、自身のオリジナルの物理的な造作との制限を無視して、勝手な想像を逞しくしているものだ。もし、絶望しているなら、その先の自分の将来を生きることはかなり困難になるだろう。人生の選択が限られたものになるはずだ。

その意味で、物資的な世界に棲む私たちは、どうあれ種の保存の見えざる救いの手によって、
絶望しない程度において多少の不満があってもうっとりするようにできているらしい。
ともかく、自分には、責任はないという意味において。

ここまでの余談は、鏡の前にった自分の姿を映し見ている場合を、
愛を込めて言っている。だが、
ゼランド氏は、鏡に映った自身の姿の話で矮小化したいのではない。
それは各自に任せているのだ。

むしろ、ここで言う、「鏡」というのは、物理的現実は、文字通り自分の内側が「鏡に映った世界」であることを問題にしているのだ。

その物理的現実は、「思考の形(イメージ)」の産物であり、私たちは、その反映を見ているに過ぎないのだと述べている点にある。

すでに、前述しているが、ゼランド氏は、
鏡に映っているそもそものオリジナルは、変えることができるという前提で、
含みを持たせて述べている。つまり、

オリジナルの「思考の形(イメージ)」が変われば、固より物理的現実が変わるということを
示唆しているのだ。

ゼランド氏が、フィードバック回路の罠だとして、記述しているのは次の点にある。

  「通常、ネガティブな感情はその人の注意を奪ってしまう。人は、困っていることを
   案じる。人は欲しないことについて思いを巡らせる。こんなふうに逆説的なのだ。
   しかし、鏡は、人が望むものか望まないものかを斟酌(しんしゃく)せず、
   ただ形(イメージ)の中身を正確にきちんと伝達しようとする。」
(「トランサーフィン『鏡の法則』」ヴァジム・ゼランド[著]
    ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店  p190より引用)

と述べている点だ。
こうしたことから、ゼランド氏は、フィードバック回路の罠とは、
  「人は受け入れられないものを常に引きずっている」
      (前出: p190より引用)
と。
その意味で、私たちは、
ネガティブなものの反映に捉われることになると示唆する。

タイトルとURLをコピーしました