夢見心地☆人生ラインについて ★19#0040

フィリピン-ピリピン

恐らく、唯物論的な見方をする。あるいは物質至上主義的な考え方をする人には、トランサーフィン的な概念は受け入れられないだろう。

一般的にも、現実世界のあれやこれやの状況や問題に常に囚われ、そこから必死にただ抜け出そうと闘いもがいているだけの人生に苦しんでいる方も、受け入れられないかもしれない。

私の状況は、そのどちらかと言えば、後者に近い立ち場だった。私は、私なりの事情で、トランサーフィンの概念に傾注することができた。それは、不幸中の幸いと、今は思う。

トランサーフィンの概念は、翻訳されたもの現時点で4巻を通して、常に独特の魅力を持っている。1巻2巻は、ガチガチの概念のオンパレードだ。

それでも、しがみついていると、良いこともあるもので、想像以上の恩恵を受ける。
何となく、あるいはそれ以上に、人生の意味が分かってくることだ。最近、その恩恵について、
即座に気づいたのは、学習というものの成果の大きさについてだ。

高度な思考をする人の論理を、辿ってみることの意義は、非常に意義深いという実感を得ている。この例えは、適切ではないかもしれないが、分かりやすいので、あえてあげてみよう。
ロクに漢字もかけないでおバカを自認し、それを個性とし売りとするタレントの稚拙な芸能界の裏話的な、あるいは私生活を切り売りするタレント本を読んで、どれほどの意味があるかだ。

100万回読んでも、何の深みを得ることはない。ただし、
それでも、そこに価値を求めるられるなら、「好きにしろ!」それ以上、私は何も言う必要がない。

だが、トランサーフィンのような高度な抽象的な概念と出遭うと、私のような凡人は、理解するために途轍もなく苦労する。
だが、その理解のための苦労の見返りは非常に大きいと感じている。

なぜなら、もしこの本と出遭っていなければ、
生涯、絶対にすることのないだろう論理思考の道筋を示されるからだ。
沢山の恩恵を受けているが、中でも、私が最大の関心を寄せているのが、
人生ラインだ。

本の中では、人生ラインという言葉が、いきなり出てくる。人生ラインというものについて、基礎的な説明がない。それでも、その言葉から、運命とか、宿命みたいなものか、という想像はできる。非常に大雑把に言えば、その通りだ。ただし、私たちが、通常考える、運命や宿命と異なるのは、自分に与えられた、それらが、たった1つではないことだ。

私たちには、文字通り無限の可能性があるということだ。それは、
バリアントの空間ということで説明が付いている。別な言い方をすれば、アカシックレコードと言ってもいいのかもしれない。私たちの人生のラインは、わずかな違いで、無限数のストーリーがあり、そこを、瞬間、瞬間に移動しているというのだ。

あるいは、自分の発する波動にマッチングするラインへ常にシフティングするもののようだ。

もう少し突っ込んだ言い方をすれば、バリアントの空間とは、形而上学的な意識空間上の概念の一つで、意識(特に潜在意識=魂)レベルが物質化、現実化を図るための空間だ。平たく言えば、私たちの人生のシナリオの可能性が、微小な差でどう展開するかを無限大に陳列、羅列、交差される空間だ。その一つひとつを人生ラインとして称している。

もっと具体的に、分かりやすく言うなら、私たちはいまこの瞬間に、
常に分岐点にいるということだ。
その分岐点は、常に私たちの意図的な選択(波動または周波数)によって、変化し決定される。
人生の方向が決まるということだ。

例えば、進路で言えば、東大へ行くのと、その他の一流の私大へ行く。3流の大学へ行く。あるいは、名前だけとりあえず「大学」の文字が付いているような私大へ行くなど。人生は様々だ。それらは、バリアントの空間にそのシナリオが用意されている。
仮にその進路の地点だけをとっても、人生は、その選択で、大きくどのようにでも変わる。

あみだくじを進むように。では、選択されなかった人生は、どこへ行ったのだろう。それは、選択された進路も含め、私たち形而上学上の意識レベルのバリアントの空間にもともとあるのだ。私たちの選択する意図により、そのバリアントの空間から適切なシナリオにスポットが当てられ、現実化される。それがトランサーフィン的な概念の捉え方だ。

人生ラインについても、バリアントの空間についても、私が本を読んで理解したレベルのことだ。その説明において、私自身の力不足も隠さず認めよう。だから、皆さんが皆さんの読解力によって、本書に向き合い理解することが、望ましいと思う。むしろそうお勧めする。

ほんの少しだけ興味を持っていただいている方のために、当該著書の中から、
人生ラインについて触れた不可思議な記述を、以下に引用させていただこう。

その前に、内的意図と外的意図に簡単に触れておきたい。

内的意図とは、私たちが、「自分の力で何かを行う意図」とある。
([願望実現の法則 リアリティ・トランサーフィン2]」ヴァジム・ゼランド[著]
     ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)

外的意図とは、自然にそのような成り行きになる見えざるチカラのようなもの。
「時間、空間、物質が関係する一連のプロセスで、筋道立った説明ができないものは
 すべて魔法または超常現象とされる。このような現象は外的意図の働きを示すもので
 ある。」
([願望実現の法則 リアリティ・トランサーフィン2]」ヴァジム・ゼランド[著]
           ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)とある。

その知識を得たところで、以下、人生ラインついてのちょっとした記述を紹介させていただく。

「内的意図には、小道に生えているリンゴの木を変える力はない。外的意図も何も変えることはしないが、バリアントの空間の中でリンゴの木のある小道の代わりに。ナシの木のある小道を選択し、乗り換えを行うことはできる。これで、リンゴの木はナシの木に入れ替わったことになる。」
([願望実現の法則 リアリティ・トランサーフィン2]」ヴァジム・ゼランド[著]
    ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)

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