それは、私がいくつの時の事なのか、まるでわからない。後で考えてみるとという推測で、
おそらく3才前後の頃なのだろうということだけがしかわからない。
2才というのは、ちょっと考えにくい。4才のとき、私は、他の地域に移り住んでいた。
だから、3才頃なのだろうと思っている。
夜中か未明に目が醒めた。あたりが暗いからそう思っているだけだ。
それが夜だとも朝だとも、判断できないその根拠は何もない。
3才程度の私に時間の観念のないし、わかるはずもない。
ただ辺りが暗かったという意識だけがいまもしっかり残っているだけだ。
私は、きっと母の隣に居たはずだ。周りを見渡すと、白いものが見えた。
動くことはない。ただ白い布のようなものが覆われたものが、目に入った。
怖いというよりも、何だろうと、闇の中で息を潜めていた。私を襲うことはないようなので、
再び、目を閉じたが、また目を開くと、やはりそれは、そこにあった。幽霊ではない。
怯えたという記憶も残っていない。ただ、「あれは、何だろう…」と。
子ども心にその記憶が焼きついた。
そして10才を前後した頃、これは以前にこのブログにも書いたが、ほとんどというか、
全く親しくない近所の子どもと自動車の後部トランクスに入り締められるという遊びを
した話を書いたことがある。後部トランクスに入って、そこで外界と閉ざされた恐怖は、
普通ではない体験だった。怖くて泣いたということではない。
信じ難いもしれないが、
自分が、その後部トランクスから、間違いなく出たのかどうかという確証が持てない不安だ。
もしかしたら…。
私は、そのトランクスの中で、眠りこけ、いまなお、その長い夢見に居るのではないかという疑念。
自分がいつまでも、そこで悪い夢を見続けているのではないかという不審感を持ち続けているという、ある意味馬鹿げた不安に付きまとわれたのだ。これは、その後の、私の記憶にゆらぎをもたらすことがあった。ほんの1-2分程度の子どもならありがちな悪い遊びの後遺症だ。
この後遺症は、心理学的には、かなり問題があったのかもしれない。
無自覚なまま閉所恐怖症の状態を持ち続けていたからだ。
だが、それももはや遠い記憶のものになった。
そして、これらの体験が、トランサーフィンで言うところのバリアントの空間の理解、二元鏡の世界。夢見の状態という理解を助けてくれたのかもしれないと、いまは思う。
私たちは、あまりにもリアルな物理的次元の世界に生きているため、どうしても、その自覚を持ちにくいが。それでも私は、私自身の意識が創り上げた世界に私たちが、どうやらその中に棲んでいるらしいということを理解している。
私たちは、あまりにもリアルなイリュージョンの中で、特に、私たちの思いが、ネガティブにシフトしている場合には、自ら創り出した艱難辛苦と闘っていることになるようだ。
すべてが、あなたの意識が創り出した世界、私の意識が創り出した世界の中で生きている。
なるほど、それはゲームのような世界なのだ。
津留晃一氏も例にあげて指摘は理解しやすい。3Dのゴーグルを付けた無限に広がるバーチャルな世界。その中で、様々な展開で格闘するキャラクターが、まさしく私たちなのだ。
本当の私、ハイヤーセルフは、ゴーグルを付けている私だ。キャラクターで登場するゲームの中の私は、ハイヤーセルフの私の存在を知らない。いま目の前に展開するゲームのストーリーを体験していくだけだから。
3Dの中のゲームの私は、自動車を運転していたり、バイクのライダーだったり、不思議な冒険世界を体験したり、奇妙な生き物と闘ったりする。それらゲームのストーリーは、私たちのリアルな世界での苦境や困難が何か奇妙なものに姿を変えたもの象徴だ。
実際の私たちは、ゲームのような創りもののキャラクターでなく、私たちの身近なところから発生するもっとリアルなものと出会う。私たちのいま居るラインから、遠ざかれば遠ざかるほどに、予想もできないものと出会うことになっているようだ。
そしたリアルなゲームのシナリオも、結局は、私たちの思いの近いところのシナリオをバリアントの空間から、引き寄せ、あるいはその中に紛れ込んで、体験しているらしい。