私たちは、常に、私の内なる無限の力の恩恵を受けている。だが、私たちは、それに気づいていないのだ。極めてありふれた一例を挙げれば、私たちは、自然に歩るくことができる。
この一見、何でもない歩くことのメカニズムに多大な無限の力の作用が働いている。
それを悉く挙げるつもりはないが。
赤子が立ち上がる。やがてその時期がくれば立ち上がる。
そして、赤子は、意識せずに立ち上がろうとする。足腰にまだ力がない赤子は、
すぐに転び、それでも再び、掴まり立ちしながら、立とうとする。
生まれながら肉体的な困難を伴わなければ、環境から得た学習も含めて、
原則、立てるということを、潜在的な能力を持っていることを知る。
歩くための一定のプロセスを経れば、くり返し、くり返せば、
いづれは自由に歩けるようになると私たちは本能的に知っている。
私たちの多くは、この歩くということに、何ら恩恵を感じることなく、
極めて当たり前のようにして、日々の中で、その動作を行っているが、
とんでもなく大きな力が背後で働いていることについては、
誰しも異論を述べることなく気づいているであろう。
そのメカニズムなど語るつもりはないが、あえて持ち出したのは、理由がある。
私たちは、恩恵を感じることなく、無限の力を活用し、その無限の力を借りるべく、
無意識レベルでコンタクトをとりながら、それを実行しているということだ。
その時、無限の力が働くために、必要な条件があり、それを唯一求められているということに注目したい。
それは、ただ一点。
「くり返す」ということだ。
何度も、何度も、意図的に「できないこと」あるいは「できていないこと」、
「できて欲しいこと」をくり返したことが、やがて無限の力に浸透し、
作用させる原因となる。
そして、これは、肉体的なレベル、あるいは物理的な現実のレベルだけのことでなく、
むしろ、目に見えない意識世界の中で、同じように作用しているということを
忘れてはならない。
当ブログで、度々、さまざまな示唆を引用させてもらっている
「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)に登場しているデニス・ウェイトリー博士(NASAで宇宙飛行士の研修を担当した経験も持ち、作家であり、講演家。)のメッセージは、特に興味深いものがある。
そもそも肉体的なレベル、あるいは物理的な現実のレベルというのは、
私たちの意識世界が、投影されたものだからだ。
それを受け入れられれば、ウェイトリー博士の次のメッセージは、大いなる示唆を含んでいる。
「あなたが視覚化するとそれが現実化します。そこがマインド(頭)の興味深いところです。
私達はオリンピック選手にレースで走る姿を頭の中でイメージしてもらいました。
そして、彼らをとても精密なバイオフィードバック装置に繋げました。
彼らがトラックを走っているのと、同じようにイメージしていると、驚く事に、
その時と同じような順番で実際に筋肉が使われたのです。」
(「ザ・シークレット」ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳]
角川書店 p134より引用)
ここから分かることは、
すべて私たちの身の周りに起きていることは、私たちの意識の中で起きていることを
後付けで、物理的な現実を通して観ているか。体験しているのだということを識ることになる。
今日のブログのタイトルは、
”☆無限の力と波長を合わせる方法”とさせていただいた。
その答えは、
「くり返し」にある。
そもそも学習の原則は、そこにすべてがある。通り一遍で済ましても、多くの場合、知識にならない。
目に見えない世界で、たとえば、困難な状況にあり、不安や心配、怖れなどに苛まれ、
望まない状況を変えたいというようなとき、その結果としての物理的現実を変えるためには、
望む思いやイメージの「くり返し」が有効だということだ。
加えていえば、
ジョセフ・マーフィー博士の次の言葉が、とても示唆に富んでいる。
あえて引用しておきたい。
「安らぎや富、心の支えをまわりに求めてはいけません。すべてを生み出す全知全能の力は、 あなたの中にあるのです。心の安らぎは、政府や団体、まわりの人から与えられるもの
ではありません。何かを日常的におこなっていると、それが潜在意識に組み込まれます。
歩く、泳ぐ、ピアノを弾く、キーボードを打つ、車を運転する…
こうした動作を習得するのと同じです。何かを考えたり続けたり、繰り返し行なったり
すると、いずれ潜在意識に植えつけられ、自然にできるようになります。」
「マーフィー 世界一かんたんな自己実現法―驚異のイメージング」
(ジョセフ・マーフィー [著] 富永 佐知子[訳]きこ書房 p155より)
とある。