前回のブログ:夢見心地☆やはり人生はゲーム ★20#0428の続編
その答えは、突然、訪れた。期待していなかったし、心の準備もなかった。
だが、気づいたのだ。
前回のブログ(夢見心地☆やはり人生はゲーム ★20#0428)に
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/4751/
書いた内容に関連することで、
地元のTSUTAYAの隅で実際にあった、しかし、
取るに足りない話を前日ブログに私の思いとして記述した。
その話は、私の眼の前に平然と立ち塞がる無礼な男の話で。
なぜそんなことが、
私の身の上に起きるたのか。その理由と意味を問いつつ、
人生はゲームだと言い切った内容だった。
もちろん、「そのオヤジにお前(=私)が馬鹿にされてたんだよ。」
あるいは「軽く見られたんだよ。」「単なる頭のおかしなオヤジなんだよ。」などなど、
といくらでも言う、論評する見方や考えはあるだろう。
だが、その見方は、見方として否定はしない…が…。
直情的に反応するその態度は、現象をただ短絡的に受け止める見方として、
今の私が取るべき見方や態度、考え方とは相容れない。
そのように絶対に思っていない。
そういう見方をするべきでないと確信し感じている。
その態度や考えの延長線からは、決してロクでもない、破壊的な結果だけが待っている。
つまり、自分のプライドを重んじるあまり、排他的な争いがそこで起こり得る可能性があり、
どこまでもすべてを失うばかりの結果だけが待っているのだ。
いざ冷静に立ち返ったときに、後悔以外の何らの学びがないことが明らかだ。
それよりも、私たちの高い次元からの教え(学び)のメッセージが、必ずそこに含まれており、常に、私たちに投げかけられているものがあるのだと思うことの方が、人生はより深いと思う。
そして、この物質世界の現実で起きることには、
私たち自身が自らの学びのためにあえて用意し仕掛けたものがある
のだという気づきに
目覚めることが重要だと思っている。
実際、その”無礼な男”に託された高い次元からの重要なメッセージや
意味があると感じていた
だからこそ、前回その疑問をブログとして書いた。
そして、私が探していた答えが”ポンッ!”と出た。
あまりに早かったので、正直、驚いた。
少し学びの時間が、必要なのだろうと思っていたからだ。
その気づきに感謝したい。
私の疑問は、なぜこの無礼な男が私の前に、突如出現し、しかも、
私がDVDを閲覧しているその場所のすぐ真ん前を――DVDの棚と私の距離が、
わずか1メートルもない間に、わざわざ割り込んで、
あからさまに私を無視し、平然と立ち塞いでいたのか。
なぜ、こんな男が私の前に現れたのか。その意味と答えが、私には分かった。
電車の中で、その答えが用意されていた。
それは、エイブラハムとの対話の本を読みなぞらえていた時だ。
答えは、その本のわずか1行の文字の中に凝縮されていたのだ。
P186にあった。
「違うことを望むなら、違うことについて考えなさい。」
(「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」
エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス 吉田利子[訳]
=SoftBankCreativeより)
だった。
これが、私への答えだった。
私は、この男に出合って、何を感じたかを言えば、直情的に、不快に感じたことだ。
「テメエ、何やってんだよ。人の前に割り込みやがって、
この野郎どういうつもりだ!」と、ほんの、ほんの一瞬のことだが、押し倒し、
突き飛ばしてやろうかという気分になった。
もちろん感情のままに行動はしなかった。
で、すぐにすぐに自分の気持ちを冷静にできたことに
深く感謝している。
むしろ、これは、罠(仕掛け)だなと思った。この「無礼な男」は、
私の気づきのために、わざわざ身体を張って、リスクを背負って登場してくれたのだ。
この男性にもまずは感謝だ。感謝しよう。と、いまはなおさらそう思う。
誰でもそうだが、こんなことは、望まないはずだ。
争いも、普通の人は望まない。もちろん、私もそうだ。
私は、理解できたのだ。私は、この男を引き寄せた理由を。
私自身の中にある深い痛み(それは、以下に書くつもりだが、明確ではない。)が、
この男の出現を担ったことを。
そして、それは望んでいないことへのメッセージだったのだ。
「望んでいないことを考えるな!」という強いメッセージを高い次元から、
仕掛けられたのだと強く感じた。
つまり、エスターのチャネリングの中で、よく言われることだが、
「対比」なのだ。
望まないことと「対比」することで、望むことが見えてくる。
「違うことを望むなら、違うことについて考えなさい。」
のメッセージで、
「ハッ!」と、改めて気づかされたことだ。
私は、「望んでいないこと」を気づかないレベルで、
”望んでいた”ということを教えられているのだ。
私は、この数行ほど上の部分で、
私自身の中にある深い痛み(それは、以下に書くつもりだが、明確ではない。)と書いた。
その詳細を今の時点で書くことはできないが、私自身分からないからだ。
でも、ヒントは掴んでいる。それを記述しておきたい。
「宇宙スイッチ」(ジョー・ヴィタレー著 住友進[訳] サンマーク出版)の中に、
意識して望んでいないつもりでも、結果、
招き寄せたものへの理解をするための鍵がある。
≪宇宙とつながるために知っておきたいこと≫の章の小見出しだ。
”よいものも悪いものも、すべては自分の心が引き寄せるもの”の中の一節だ。
「『そんなの嘘に決まってる!』。友人は叫びに近い声をあげました。
『自動車事故や失業まで、自分の責任だなんて、そんなわけないだろう。』
私は深呼吸しました。説明するのは難しかったのですが、
なんとかわかってもらいたかったのです。
『いいことも悪いことも、すべて自分が創りだしたことなんだ。
ジョセフ・マーフィーがよくいっているように、
【人生は、内面に描いた映像が表に現れたもの】なんだよ。』
『自動車事故なんて、心のなかで思い描いたりはしないよ』と友人の口から
そんな言葉が漏れました。
『おそらく意識的にではなくても、君はニュースを見るだろう?』
『そりゃあ、見るけれど。』
『暗いニュースばかりだと、口にしていないか?
自動車事故、殺人、未曾有の国家的危機なんて』
『たしかに、そうだけど』
『それが君の心にプログラムされてしまっているんだ。
映画も君の心に思考の種を植え込んでいる
ことに気づいたことはあるかい?』」
(前出「宇宙スイッチ」p54-p55より引用)
という個所だ。
私たちは、知らずのうちに、何らかのネガティブな芽を育てているのだということに、
注意を払う必要があることを、この「宇宙スイッチ」のこのやり取りが、
示唆していると思う。
私は、ひとつの視点として注目に値すると思っている。
この”知らずのうちに、何らかのネガティブな芽を育てている”ことが、
「望まないもの」をある日、どこかで、意外な形で表出することがあるのだと、
私の前に現れた”無礼な男”によって、それを知らされた思いがしている。
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