夢見心地☆念じる不思議な効果 ★19#0126

フィリピン-ピリピン

私は、基本的にゲームが好きじゃない。すぐに飽きてしまうので。パチンコなどは、2-3分でもうギブだ。それ以上は無理。
それでも若い頃、映像の制作プロダクションに勤めていたとき、仕事終わりに同僚たちと、世に数多あるサラリーマンと同じように、麻雀に何度か付き合った。

麻雀には、ちょっと病みつきになる要素というのがあるので。
でも私の場合、その麻雀も、せいぜい、東局一巡で、もう飽きてくる。
あまりに単調過ぎて。耐え難くなる。

最終的には、私がゲームに弱く、いつも最下位か、よくて3位ぐらいなので、
それで、麻雀が、好きじゃないんだと思う。余程才能がないのだろう。
断トツTOPで勝ったということがない。2番手が、数回あるのみで、
ほぼ最下位に準じている。だけに麻雀は、意識下としてやりたくない。

その麻雀で、何度か、私がいまこの成功法則の目覚めを、この麻雀仲間から、そうあるべきサインを受け取っていたように思う。後の、より深い理解のための根拠にはなっている。

その話についていうと、かつて、映像会社の仲間と麻雀をするときは、
私の勤めていた会社の親会社にあたる営業窓口の人間も麻雀に加わっていた。
実はその彼から、麻雀を仕様と呼び掛けてくるくらい彼は麻雀好きだった。

その彼のことで、私は何度か念じることの凄い意味を間近に感じたのだ。
見るからに彼はどこかヤンチャな感じのする顔をした親会社の営業マンだが。その彼は、元暴走族上がりだったという自分で言いふらしていた。若いときは、バイクで走り回っていたともいう。とは言え、いまでは、社会人として働き、性格も、そこそこいいやつだった。

いつも麻雀帰りには、遅くなり電車がなくなると、非常によく整備された愛車のスカイラインで、自宅まで送り届けてくれた。そんな一面もある奴なので。ゲームで負けた悔しさはあるものの、彼の親切を悪く思うことはなかった。そんなことを何度か繰り返した。

若いときの経歴どおり、彼の運転技術は優れていた。飛ばす、飛ばす。横に座っている私は、昭和通りや海岸通りで、怖くて震えたものだ。

その彼の麻雀スタイルが独特で、「念じる」ことについて私は影響を受けた。
麻雀をしているとき、リーチすると彼は、ツモる際に、異常なほど、念を入れ込む。
そして、求めている牌をツモルのだ。

その全てがとは、言わないが、
彼の成功率はすごくて、でなければ、印象に残らないと思う。
ともかく、念じた効果で、頻繁にツモ上がりしていた。

その様子を映像的に言うなら、
牌をつまんだ指先のだけのアップのシーンをイメージして欲しい。
寿司をつまんだような指先。指が、白く変わるほど念を力を入れて、
そして、異様なほど、念を込める眼鏡越しの鋭い目つきのアップ。

「ツモッ!…親のハネまん!てへへえ」と、勝ち名乗りを上げる。
そうやって、ニヤけるのが、特徴的で、今もその顔をよく覚えている。
結果、彼は、麻雀の巧者であり、いつも1位か、悪くても2位だった。

当時、私も、彼に負けじと念じてみるが、全くダメだった。
常に惨敗。相手に振り込むか、最下位をみる。
もうやるものかと思いつつ、次に日に誘われて、また負けをみる。

その一方で、彼は、見事なくらいツモ上がりを繰り返した。
念には、そういう力があるのだなと、その時、強く思ったのは確かだ。
このことは、
まだ「念じること」の効果の意味には、まだ私は、まるで気づいていなかった
若い時代のことだ。

今日なぜ、この麻雀の中で、見られた特異な念じる同僚の姿を書いたか。

「ザ・マスター・キー」(チャールズ・F・ハアネル[著] 菅 靖彦[訳] 河出書房)にある。

第3週のp54の冒頭のメッセージに、強力な線を引いていることに気づいて、
もちろん、以前、私が引いたものだが、その短い文言に、
やっぱりメッセージ性を強く感じているからだ。

その言葉とは、

  「あなたはただ自分の欲するものを念じればいいのです。」
          (前出:p54)

たったこれだけだ。
だが、夏目漱石が指摘するように、

   「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される」(「枕草子」冒頭部分)

の通りに、
人生のひとコマ、ひとコマをじっくり進み行こうとする社会通念の思い込みの論理に
コントロールされ、しかも、理性の制限に縛られている私を含めた凡人は、
なかなか「そんなものですか…?」とはなりにくく、
このハアネル氏の言葉を、すぐには、容易には鵜呑みにできないかもしれない。

おそらく、したくないのだ。愚かなあまのじゃくなのだから。

一方で、
制限付きの理性の支配に安穏としているのも、どうやら自虐的に気持ちがいいらしい。

とはいえ、
成功法則の一つの方法としては、
直近の理性によって囚われているものから、いかに上手に抜け出せるかだろう。

加えていえば、私たちから一見、遠くのところにいて縁がなさそうな気がする神様は、
実は、私たちを見捨てずに、それでも、きちんと真理を告げてくれている。

   「もし、あなたが信じて疑わないならば、その通りになるであろう。
    信じて求めるものは、すべてかなえられるであろう。」

      (「マタイ伝」第21章22/「ザ・シークレット」p93より引用)

ただ、私たちが素直になれないだけだ。

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