夢見心地☆人生の迷路に陥ったら執着を捨てる ★19#0125

フィリピン 出会い2 フィリピン-ピリピン

先ほど、スーパーで買い物をしていた時だ。セルフレジで会計を済まし歩き始めた。
そんな最中、なぜか巨大迷路のことが、頭に浮かんだ。まったく唐突にだ。
それまで、何を夕飯にするか考えていたのに。その意味では、まったく脈絡なく巨大迷路のことを思い出した。

あえてなぜ巨大迷路なのかを考えるなら、おそらく、昔、関わった地方CMのことが関係しているのだと思う。

それは私にとって、かつて映像の仕事で制作会社の社員ディレクターとして担当したことのある浜松市の告知TVCMの題材(広告テーマ)だったのだ。それが関係しているのだろう。

CMでは、外国人の子どもに出演してもらい。当時、流行っていた巨大迷路を彷徨う興奮を描いた。ちょっとしたちびっ子ギャングのような出で立ちで楽しんでもらう設定だった。
子どもたちは、外人特有の明るい表情豊かなテンションの演技をみせ、それなりに良い作品になった。今となっては、それは遠い昔の話である。

で、なぜ、そのことを急に思い出したのかは、定かではない。
おそらく、スーパーの店舗の様子だとか、何かちょっとしたキーワードを、はっきり意識せずに潜在意識が感じ取って見ていて、それが切っ掛けになったのかもしれない。
人間の思考には、こういう一面があるのだな…と、ふと思う。

このことで、私に、ネガティブな感情を引き起こしたということもないが、反対に、ポジティブな、あるいは懐かしさを喚起させてくれたわけでもない。

あえて言うなら、当時社員ディレクターとして、そこそこの金額を撮影で使うので、仕事上の失敗が絶対に許されないという制作面のプレッシャーは、常に潜在的にはあった。その点では、ややネガティブな思いがあったかもしれない。

こうした潜在意識の虚を突いた働きについて、
「ザ・キー」(ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳] イースト・プレス)
の中で、ビタリー博士の示唆が、
私の巨大迷路が突然に思い浮かんだことに対する、曖昧なもののシッポの捉えどころを教えてくれている。

   「マイナスの思い込みがやってきたとき、それがどこからやって来たかなど
    わかりません。わたしの自意識のなかで泡だってきたのです。もしかすると
    目にしたり、耳にしたのかもしれません。あるいはニュース速報を見たのか。
    メールをもらったのか。その感情がどんなものかかは、誰にもわかりません。

   ( 「ザ・キー」ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳]
       イースト・プレス :p171より引用)

私はスーパーを出るとき、地下自転車場を通り抜けながら、巨大迷路の意味しているものについて考えていた。

それは、人生ラインのあり方を示している構図の一面でもある。

人生ラインとは、ラインが示すように、一本の道という単純化されたものではない。
それは常に、選択(シフト)によって、迷路を歩いていくようなものと類似もしている。
いつでも無限数に数多あるラインにより、私たちには、常に選択が許されている。

望まない道を歩いているなら、そこで激しく疲弊するまで困難と向き合いながら歩くのでなく、あっさりと手放し新たな選択をすればいい。複数というより、無限数に選択肢があるということは、一体、何を意味するか。

ただ、私たちに選択の自由が許されていることを、物量的に、その可能性を示されてされているということだ。

しかし、私たちは、その選択の行使を上手くできないで、すでに選択して、結果、ネガティブな袋小路に陥ったそのタイミングにもかかわらず、そこを自身の力で乗り切ろうと頑張ってしまうのだ。あまりに無意味だが、気づくことができない。

この選択については、リアリティ・トランサーフィンシリーズのヴァジム・ゼランド氏の
示唆がぴったり当てはまるので、引用をさせていただく。

   「バリアントの空間には、各人にとっての運命ラインが無限に存在する。
    私たちには自分の運命に腹を立てる根拠はない。なぜなら、私たちには
    選択する権利が与えられているからだ。問題は、私たちがそれを
    うまく行使できないという点である。」

  (「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」ヴァジム・ゼランド[著]
       ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店:p56より引用)

ゼランド氏は、迷路に陥って、困難に向き合ったとき、高度な示唆を私たちに与えてくれている。それは、問題の重要性を捨てることだという。

   「もしあなたが問題だらけの状況に遭遇したならば、どこでやりすぎたのか。
    どこをつかまれてしまったのか。何に過剰な意義を与えたたのか突き止めて
    みよう。そして自分が重要性を与えたものをつきとめたら、それと縁を切ろう。
    壁は崩れ、障害は自壊し、問題はひとりでに解決される。」

  ( 「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」ヴァジム・ゼランド[著]
       ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店: p224より引用)

迷路で行き詰ったとき、重要性それは、現象としては執着を捨てれば、迷路の壁は崩れるというのだ。
あまりに、あまりに難度の高い示唆だが。無視はできない。

巨大迷路は、一時的なブームで、あっという間に流行り、すぐに飽きられた。
だが、私たちの人生ライン上の迷路は、ブームなどではない。常にそこにある現実という体験だ。

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