夢見心地☆クリアリングとギフト ★19#0168

yorunosoko フィリピン-ピリピン

私は前のパート職で、無理が祟って右膝痛めてしまった。
そのことで、膝痛がなかなか改善されず、一日のうちで、何回となく、
その膝痛について考えてしまうことがあった。若いころのように、数日で治ることなく、
歩く必要があるたびに、つい何気なく膝の痛みについて考えてしまうことがある。

最近では、以前に比べて、なぜか、かなり回復に向かいつつあるので、
このネガティブな話は、このくらいで打ち止めにしよう。

私の場合は、たまたま、幸いなことに膝痛が、
「いま」における私の問題点として明らかになったということが、
ただ申し述べたかった。

幸いなことにと書いたのには、ワケがある。
人によっては、それが、難病だったり、
「何で、自分がこんな目に遭うのか」と言いたくなるような
命を落とすかもしれない生死を分かつ病だったりすることは、少なからずある。

こうしたことは、
実は、私たちの身に起きる場合、それだけではないのだ。
つまり、直接、自分の身に起きなくても、結果、自分にも何らかの関わりを持たざるを得ないような、あるいは自分と直接、関係を深く持つ人物に、ちょっとしたトラブルや問題が起きて、
それに悩まされたりするがある。

「何故、こんなことに」というような苦境や困難と思われる状況など、
すべてを含むものが、どうやら私たちの身に起きることになっているようだ。

それは、文字通り、好むと好まざるとに関わらず分岐点に起きるようだ。

私は、膝の痛みについて、自分自身を見直す私自身へのサインだと感じている。

いま、自分がそうしていることを、何らかのカタチで、
糺す必要に迫られているか。問われているのではないかと想う機会として。
あるいは、いつまでも惰性に流され動けないでいる自分自身へのサインであるとか。
または、次第に厳しく見えるカタチの試練としてあるのではと思うことがある。

それは、カタチを変えた神(大いなる宇宙)からのサイン以上のもの、
ギフトなのではないかといま思っている。
正確には、気づかされた。

ジョー・ビタリー博士の「ザ・キー」(ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳] イースト・プレス)を手にした。
たまたま開いたその箇所が、《亡き妻への執着をクリアにすることで…》の項目で、p112だった。

この項目は、見開き2ページ程度の僅かな内容だが、いくつかの重要な示唆をしてくれている。

内容としては、大まかに言えば、ビタリー博士の私的な話だとしながら、彼が、結果として良性のリンパ節が腫れる病に見舞われたこと。

その原因は、物理的には、科学的な原因があるのだろう。だが、ビタリー博士は、スピリチュアルの深みに入り内省した。自身の心の喪失と向き合ったのだ。
この一命を危うくするかもしれない病を、ビタリー博士は、

   「この出来事はギフトなのかもしれないという考えが浮かびました。」
     (前出「ザ・キー」:p112より引用)
と述べている。

このページの中から、私は、2つのキーワードを見出した。
それは、すでに述べた「ギフト」と、
そして、「クリアリング」についてだった。

このギフトというのは、
私たちに降りかかる問題は、すべてカタチを変えた神からの「ギフト(試練)」なのだ。
という教えだ。

先の「ザ・キー」に話に戻るが、ビタリー博士は、リンパ節の病に不安を感じたとき、
自身の今の状況すべてに「愛しています」という言葉を、何度も繰り返したという。
そして、その病が、どこから来たのかを、心を糺す過程で、20年を連れ添った亡妻への執着があったということに、突き当たったと触れている。

ここで、簡単に触れるようなレベルでなく、本編では、ビタリー博士の亡妻への深い愛と思いが伝わってくる内容だ。ぜひ、著作から感じ取って欲しい。
その亡妻への執着を和らげるために、クリアリングをしたという。

それは、ホ・オポノ・ポノの言葉だ。
   それまでの「愛しています」に加えて、

  「ごめんなさい。」「お許し下さい。」
を心の中で、何度も念じてみたという。

その結果であるとは、科学的に証拠だてて、関連付けて言うことは、
もちろんできない話で。
しかも、ビタリー博士は、医者で適切な処置を受けていたであろうし、
医者の指示にも、当然、従っていたのだろう。

それらを含め、
読者自身がどう思うかに掛っている。しかし、それでもなお、不思議なのは、
しかし、それでもなお、不思議なのは、
少なくとも、当初、医者が悲観的な見解を示していた病について、
先の言葉を心の中で念じたようだ。

それを、あえてくり返すうちに、ビタリー博士自身が、心にある亡妻への執着が
クリアになっていく感じを得つつ、それに伴い、さらにリンパ節の腫れが徐々に変化し、
次のように述べる。

   「わたしは胸部に現れたその腫れを愛し、それが伝えようとしたメッセージに耳を傾け、
    消えていくのを見送ったのです。その後、MRI検査の結果、リンパ節の腫れは
    無害なものだと判明しました。」
(前出「ザ・キー」:p113より引用)

とあり、やがて消えていく感じをもったという。

        ☆ ☆ ☆

【フィリピン・夢見メモ】
意識してみる夢見の中で、私たちは、ネガティブなものポジティブなものを体験するようだ。いや体験しなければならないようだ。そして、時には、ご褒美なのか。まるで幻想のような美しい風景も見せてくれる。その至福のときを、存分に体験させくれるようだ。幻想を体験する舞台として、フィリピンの舞台装置は、あまりに完璧だと思う。



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夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

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