斎藤一人さんの講演メッセージのちょっとした気づきについて、前回、書こうとしていたら、
別の気づきを得たために、前回のブログは、(☆何にも変えてはいけない)を書かせていただいた。
今回は、元々書こうとして予定していたものを、そのちょっとした気づきを書かせていただこうと思う。
私が一人さんの講演メッセージの中で感じるは、願望実現の具体的な手法についてのお話が、
比較的少ないように思っていたことだ。
斎藤一人さんの講演をすべて聴いた訳ではないので(=はっきり言えば、まだまだほんの一部程度だ。)だから一概にそう言い切ることはしないが、というより、案外多いのかもしれない。
ただ私が、聴いた手元にあるものには、そう感じるものが比較的に少ないということだ。
日々ついてる。幸せだ。と思うことの大切さなどの精神的な有用な話が多いのかな…と。
また、それがすべての基本だからだろう。では、
願望実現の具体的な手法についてお話をしていないのかというと、
実はそんなことはない。あるのだ。
私たちは、それを聴けるだけでも、とても、ついてるのだ。
その話が、「斎藤一人 千年たってもいい話」(斎藤一人[著] マキノ出版)の音声CDの中にある。前回、私は、いろんな意味を含めてそれを確かめたかった。
前回も引用した箇所を、再び、講演CDの中の”幸せのなり方”から引用させていただく。
「あのね。幸せになりたかったらね。何も望んじゃいけないの。何にも変えようと
しちゃいけないの。わかる?何にも、望んじゃいけないの。例えば、
この指、もうちょっと細かったらな…とかさ。自分の足、もうちょっと長かったらな…
とかね。えー…。
ウチの…姑がさ、もうちょっと小言が少なかったらなあとか。一切、望んじゃあ、
いけないの。」
(「斎藤一人 千年たってもいい話」斎藤一人[著] マキノ出版:音声CDより)
前回は、「何も変えちゃいけないの」という話を取り上げた。本日は、その手前の、
「何も望んじゃいけないの」を取り上げさせていただく。
もう一度くり返すが。願望実現のためには、
「何も望んじゃいけないの」
なのだ。私は、このCDを聴いた数年前の当時、とても困惑した。
願望は、望んでナンボなのではないのか…と、ふつうに不満に思ったのだ。
やや消化仕切れなかった。
しかし、一人さんは、偉大なる成功法則の達人なのだ。一人さんは、十分説明はしないが。
この言葉で、成功法則の本質と側面をすべて言い及んでいたのだ。
私は、数多ある成功法則の学びの中で、斎藤一人さんの正しさを理解した。
なぜ、「何も望んではいけないの」か。
望む限りにおいて、いまそれを手にしていない状態を、自ら認め、そこに思いを寄せてしまうことで、引き寄せの法則を働かせてしまうからだ。
望んでいるものを手にするのではなく。
その思いと矛盾して、いま望んでいるものが手元にないという状態を、一所懸命、フォーカスしてしまい、そのことを現実化しているので、結果、何も実現しないことになる。
むしろ再び悪い結果を招き寄せてしまうのだ。
だから、「何も望んではいけないの」だ。
では、どうするのか。
望んでいるモノや状態や状況を、すでに手に入れたかの如くに、そこで満喫している自分の姿を、ただビジョンとして思い描くことだけが大切なのだ。
まだ手にしていないということや、かなうだろうかと、あるいは、かなわないのではと不安になったりせずに、そうしたネガティブな思いに振り回されずに、想念として、手にしたいものの姿を思い描くということに尽きる。
そして、
斎藤一人さんの願望実現の手法が、前述CDの中にも、紹介されている。ただし、台本なしのやり直しの利かないライブの講演でもある。ちょっとした言い回し、表現の仕方は、言葉がやや足りないということは、往々にして、誰にでもあるものだ。前後関係で、意味が不明になったりすることもあるだろう。だが、率直に、受け入れることが成功法則の学びの中では、重要だ。大筋を理解し、わかりにくい点は、他の書籍などで、理解していくことも大切だ。
「えー…。ウチの会社ね。すごく変わっているの。おそらく、会社の社長で、
こんなこと言ってんの、オレだけだと思うよ。だって、ウチって銀座まるかん
って言うんだけど。正式名は、銀座日本漢方研究所っつうの。
何が、変わっているんですかって言うと、誰も、研究していないの。(会場:大笑い)
だって、研究員いないんだもの。で、オレも研究していないの。(会場:大笑い)」
(「斎藤一人 千年たってもいい話」斎藤一人[著] マキノ出版:音声CDより)
という、願望実現の方法がどのようにして行われるかの前段の話がある。会場内は、斎藤一人さんの意外な話で、大笑いの渦だ。私は、この箇所を何度、聞いても笑ってしまう。
でも、「じゃあ、なんで…。どうなっているの?」と普通に思う。
そして、いよいよ一人さんの具体的な手法が述べられる。
「で、どうやってやるんですか?っつうとね。頭ん中で、例えば、膝に良くて、
腰に良くて、で、こういうのほしいな…って願うの。と、一ヶ月後か、二ヶ月後か、
三ヶ月後、ポンッと(アイデアが)出てくるの。だいたい一ヶ月ぐらいで出てくるの。
それがポンッ!と出てくるの。そうすると、その処方を書いて、これで作って!って
言うとできるの。で、そんなんで、出来るんですかって言うから。でききるの。
ただその間に、楽しくしていないとダメなの。その間ね、少しでも、悩んだり、
苦しんだりするとだめなの。」
この後の詳細は、著作のCDで確認をしていただきたい。
このように、一人さんのアイデアを生み出す手法が、詳細に紹介されている。
これは、イメージ法を語ったものだ。イメージの力を一人さんが、推奨している貴重な講演メッセージの一つだと言える。
前段の方で、「何も望んじゃいけないの」といい。このくだりで、
「例えば、膝に良くて、腰に良くて、で、こういうのほしいな…って願うの。」という言い方は、望むと願うとは、どこが違うのかと疑問を持つかもしれない。
だが、これは、すでに触れたように、台本なしのやり直しの利かないライブ講演の話だ。
ある程度の言い回しや表現に、矛盾する言い回しが生じることもあるだろう…。
そこは上げ足をとらずに。
多勢の聴衆の前の緊張した中では、十分にあり得ることだと。
差し引いてみたほうがいい。
その意味で、
「例えば、膝に良くて、腰に良くて、で、こういうのほしいな…って願うの。」
は、次のように、解釈すべきだと、言っておきたい。
「例えば、膝に良くて、腰に良くて、で、いまは、それが、
どんなものかわからないけれど、こういうものを考えてみる。
イメージを描いてみるの。(=あるいは、イメージするの)。」
という具合にだ。
斎藤一人さんの貴重なメッセージに、心より深く感謝したい。
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