「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢・亜希子[訳] 飛鳥新社)
の前半部分に次の一節がある。
「多くの人々はどうして、いろんな欠乏や苦痛や不幸に苦しむのだろうか?
人生のどんな場面にいるにせよ、多くの人々が自分の幸福や家族の幸福にとって、
何かが欠けていると信じていることは、まったく馬鹿げている。」
(前出「マスターの教え」より引用)
私たちの思い込みによる不足感や限界、自ら設けた制限についての批判だ。
この箇所は、主人公の友人が、絶望の淵を彷徨っているときに、マスターと出会い、その時の”教え”を伝え聞いたものを独白している場面からのマスターのメッセージだ。
なぜ、マスターはこのように言える根拠を持つのか、
この一節の少し先の部分で次のように言う。
「というのは、あなたの中に存在する力に同調することを学べば、
あなたが得たいと思うものは、何であっても、潤沢に得られるからだ。」
(前出「マスターの教え」より引用)
私たちが学ぶべき価値が高いものは、「意識」と「潜在意識」、「外なる心」と「内なる心」あるいは、「理性」と「魂」の一致、つまり2者の関係が「同調すること」が必要なのだ。
それが願望実現のための根幹をなしている。
「外なる心」と「内なる心」をどう同調させればいいのか。
そのことを
「マスターの教え」で、それを見い出してみようと思う。
この本の第八章は、≪意識に保たれた心象は必ず実現します。≫というタイトルになっている。
ここでは、思考の現実化にというものについて、基本的な概念を分かりやすく説明している。
私たちの身体を例にあげ、私たちの取るに足りないほど小さな細胞の一つ一つに、こうなるのだという設計図ともいうべき「意識のひらめき」があり、それらによって、私たちの髪の毛、身体の手足、私たち全体が創造されていくという説明がある。
その「意識のひらめき」について、次のように語られる。
「意識はどんな形のものであれ、あるイメージと心象とも言うべきものを
持っています。意識の中にどんな形であろうと、しっかりと保たれた心象は
必ず実現します。」
(前出「マスターの教え」より引用)
物質の現実化には、イメージまたは心象が必要であることが説かれている。
そして、これが偉大なる「宇宙の法則」であるとも。
ただしこの「宇宙の法則」を十分に使うことができない。
私たちの内に問題がある。
ここで言う、意識とは、「意識」と「潜在意識」、「外なる心」と「内なる心」あるいは、「理性」と「魂」その両方をさしているが。
その問題というのは、
「外なる心」(「意識」または「理性」」)が常にふらふら揺れ動きやすいということだ。
物理的な現実世界において、私たちの「外なる心」は、望むましいあり方や願望を作り出すが。
一方で、
常に五官を通じて外部とのやりとりにさらされため、そこから得たネガティブな情報などで悩まされる。
自ら制限や不足感、できないという思い込み、あらゆる障害をもっともらしく創り出してしまうという厄介さを兼ね備えている。
「内なる心」は、
無限なる力を持つ一方で、意思を持たない。
ただひたすら、
「外なる心」からもたらされた思いを指示として実行するという役回りを持っている。
「外なる心」の投影、現実化が、「内なる心」によってなされるのだ。
したがって、
願望を抱きながらその期待感に反するように、
矛盾し願望の実現を阻む否定的な感情を抱く限りは「内なる心」が常に
惑わされることになる。
決して定まることができない「心の状態」が続く限り、結果は、願望を実現しないばかりか、
むしろネガティブな状況さえ現実化してしまうと説いている。
マスターは、「外なる心」と「内なる心」が一致をみるためには、
重要なポイントがあるとしている。
それは、明確な目標を持つべきだと。
なぜなら、明確な目標を持つことによって、
「外なる心」を律する必要があり、それができる最大の方法でもあるからだ。
また、その明確な目標を維持し実行していくためには、
「私たちは望ましい絵をまず心の中に画き」
(前出「マスターの教え」より引用)
続けるべきだとしている。
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