2つの名曲がある。
竹内まりあの「駅」と風の「22才の別れ」だ。
どちらも愛を育んでいた恋人たちの別れた後の結果の唄だ。
どちらも、私の好きな曲なのだが。
以下の記述の内容が少し批判めいているようにみえると思うが、
そのつもりはない。
最近、この曲の二つを聴き比べしているうちに、
ちょっとした男と女の感性の違いを思い知らされて
笑ってしまった。
「駅」(作詞・作曲 竹内まりや)は、別れた男性に対する思いが、
女性の思いから、文字通りストレートに表現されている。
いつもの通い慣れた駅構内だろうか。別れてから2年以上が経った雨上がりの夕暮れに、
見覚えのある男性のレインコート姿を見かけ。それが別れた彼だったというストーリー。
どこか淋しげな彼の横顔。
「いまになってあなたの気持ち はじめて分かるの痛いほど…
私だけ愛してたことを。」
(駅の歌詞より引用)
と、
で、先に言っておくと、私自身は、
竹内まりあ の「駅」の歌詞のさり気なく語られるドライさが好きだ。
反して、ドラマチックで、私小説のようなストーリー立ての歌詞が
どこか淡く切ない曲調に乗せて、唄われると、
男の思いとしても分かるな…という感じにさせられる。
しかし、歌詞をしっかり聞けば聞くほどに、
案外、女性のドライな一面だけがちゃっかり表現されているので、
私は、思わず笑ってしまうのだ。
上げたり下げたりしているように思われるかもしれないが、
本音を言えば、それでも、この曲はすごく好きだ。
もちろん、皮肉でなく。本心で好きだ。
女性の本音の心情が、ある意味、とても勉強になる。
他方「22才の別れ」(作詞・作曲:伊勢正三)の唄の方は、美しい文学的な歌詞に、うっとりして聞き流してしまうが。
実は歌詞は、かなりウエットで、よくよく聞いてみると、
「私には鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに
私の目の前のあった幸せにすがりついてしまった」
(22才の別れより引用)
どうみても男の側の女性に対する期待値が大きいようにしか聞こえない。
男の側の心情を、その別れた女性ならきっとこう感じていてくれているはずだろう…と。
いや、絶対、そうあって欲しいんだという願いと美化で塗り固めた、
どう見ても勘違いのオンパレードなのだ。
当の女性たちは、この曲の歌詞にはどう思うのだろう…。
男性は、心からこの曲の歌詞に同調できるが、
ほとんど女性は、同調しないのではないだろうかと思う。
イヤミでなしに、私はそう思う。
女性を敵に回すような言い方になるが。女性は、そんなにロマンチックじゃないよね。
というのが、現実主義的な女性との駆け引きに、
これまで幾度も失敗した経験値で持つものの実感なのだ。
所詮、男はロマンチックに上滑りにモノを考える。
一方の女性は、”どうあれ!”それでも正しいのだ。
ここまで、悪い側面を取り上げて書いているが、もう一度言う。
この2つの曲に対して、
反感情はもっていないし、この2つ曲は、個人的に好きなのだ。
ただ、この話を書いてみようと思ったのは、本日のテーマである。
「他人のストーリー」についてだが。他人のストーリーとは、
私たちの側から見て、一体、何なのかということに関心を持っているからだ。
私たちのストーリーに出てくる登場人物たちとそのストーリーは、
こちら側にとって、一体、何なのか…と思う。
それは、少なくも、私たちの意識の度合いの影響を受け、
私たちの意識の中で、私たちの意識しない、つまり潜在下の何かを反映した
ストーリーが創出され、関わってくるもののようにどうしても思えてならない。
それが、先にあげた2つの曲の歌詞には、それを解くカギがあるようにも思える。
自分の側から見た相手のストーリーを、どちらの曲も伝えているのだが。
そこで、
改めて思うことがある。
それは、自分の意識の中で、良くも悪くも、自分の都合に合わせて、
すべてのストーリーができているように感じてならないことだ。
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