連日の蒸し暑さで、眠りが浅くなる。寝付きが良くても、
すぐに目が醒めやすくなるものだ。
こんな時に限って、ちょっとした夢を見やすくなるようだ。
ほぼ10年ほど前に、他界した兄の葬式に私が出なかったことで、
私に絶縁を申し渡した嫂(兄嫁)が死んだ夢を見た。
兄とは、生前から縁が薄かったこともあるが、
異父兄弟で、年の差もかなり離れていたため。
兄弟という感覚は、希薄ではあったものの。
それでも、
母の他界(25年ほど前)以後、
唯一の肉親の死のショックを受けていた矢先に、
60代後半で亡くなった兄の死を受け入れることが、
なぜかできなかった。
説明しにくいが。
血縁の死を受け入れられなかった。受け入れたくなかった。
この世界に、肉親は、一人もいなくなったという思いがしたからだ。
何よりも、
葬儀で、死んだ兄の顔を見たくなかった。生きていた頃の兄の顔を、
唯一の記憶としておきたかった。
それを死んだ兄の顔で、受け入れ難く置き換えるのが嫌だったのだ。
その複雑な思いを兄嫁は理解することはできなかった。
結果として、嫂から一方通告で絶縁された。
夢は、
夢の中で、誰かから知らせを受けた形だった。
「えーっ…」と思った。
ひどく短い夢で、その通知を受けて、
意識が眠りから「スゥーッと」覚めていくのを感じた。
目は閉じたまま、「もしかして、これは正夢か」と吟味した。
嫂の年齢を考えてみると、70代後半だ。それもないとは言えない。
あり得る。
そうまどろみの中で、欝々と考えていた。
ほぼ意識は、目覚めていた。目も暗闇の中で、開いた。時計を見る。
未明の2時20分ぐらいだった。
縁が切れてからほぼ10年、いまさらな感じを受けた。
嫂の年齢を考えてみると、平均寿命からすれば、まだ余命は充分ある。
おそらく、
正夢ではないな…時間が経つにつれてその感が強くなりつつある。
でも、なぜあんな夢を見たのだろう…と思う。
というより、
私は、形而上学の意識世界で、夢の中の誰かを通じて、
嫂の死の報告を受ける夢を見た。
夢占いでは、夢の中での誰かの死が、
そのままその人の死を暗示する不吉なものを意味するわけではない。
必ずしも、何か縁起の悪いモノのの象徴ではなく。
それが起きるということでもなく。
むしろ、いま私自身の抱えている理不尽すぎるどん底生活の
終わりを意味しているのかもしれない。
つまり、
象徴的な嫂の死の通知は、
不吉なもののカタチをとってはいるが。
実は、吉報ですらあるのかもしれない。ふとそう思えた。
まさしくその通りかもしれない。
なぜなら、
兄と私は、固より縁が薄いのに、
嫂とは、もっと、もっと縁が薄い存在だ。
過去においては、およそ年に1回程度しか会わない。
それを長い年月で、十数回程度を繰り返しただけの存在で、
私自身に、嫂という以上に、特に重要な意味があるわけではない。
付き合いも極めて希薄で。その意味で、
むしろ、嫂は、一方的に縁を切ると、
申しつけた理不尽なことへの象徴であるのかもしれない。
そう思った。
いずれにせよ。
時間の経つのは、速い。まったく容赦がない。
この数年、どん底にあえぎながら、
起死回生を目指している自分に、残された時間は、
そう長くないなと改めて、気を引き締めた。