フィリピン・パブ☆真夏のストレス #33

フィリピン・パブ

一見、華やかな世界で、店で明るく振る舞う彼女たちだが、
実は、かなりのストレスを抱えている。

ほぼ連日のように、店に通い続けた私だから、知り得たことを言おう。
彼女たちの置かれた環境や境遇など、どれほどのモノを背負って、
日本に来ているのか。そのあたりのフィリピーナの心情と言うものを理解する上で、
とても参考になると思うので、ここに記しておこう。

私は、常連中の常連だったので、彼女たちの住む部屋を見せて貰った。

私が望んだわけではなく、「キテ、イイヨ」とお許しが、彼女だけでなく、
ともに働く女性たちにも受け入れられていたので、それが可能になったのだけだ。

彼女たちの部屋は、ある地域のマンションの9階にあった。
すぐそこの商店街に面した。下町の住宅街にあった。

部屋は、かなりきれいだ。記憶が薄れているが。多分の店の休日だった日に、
寄せて貰った。

数人の女性たちがいた。リラックスした表情で、私を迎えてくれる。
ほかの数人は、思い思いに、行動しているか。
どこかに買い物に出かけていたのかもしれない。夜の9時前頃だったろうか。

2LDKにおよそ10人程度が、そこで寝起きしている。
それぞれの部屋の中までは、入らないが。ダイニングキッチンから見える
部屋の中は、2段ベッドが、4-5台以上、数台あった。
「あー、なるほど、2段ベッドか。そうだろうな…」と思った。

私は、私に挨拶してくるピナに聞いた。
「他にも、お客さんで、ここに来る人いるの?」
遠慮がちに尋ねた。
すると、
「イルヨ、トクベツナ オキャクサン ヒトリカ、フタリダヨ。」
他にも、カモな私のように、ベテランは居るらしい。

私は、マンションの彼女たちの部屋の中に10分ぐらいしかいなかったが。

彼女たちが、かなり小ぎれいにしているので関心した。

彼女たちは、基本的には、当番制だ。料理係、清掃担当。
また、店の中やトイレ清掃もあるようだ。

このあたりが、数人づつのグループで、それぞれの役割が順々に回るようだ。

以前のブログのどこかに書いたが。
お店は、夜の1時で終わる。そこで、ミーテイングがあって。店の清掃だ。
このミーティングには、オーナーが来る。

そこで、
どの程度、どなったり、怒ったりするかは、分からないが。
少なくとも、売上に付いては、かなりうるさく言うらしい。

日本に滞在できる期間の短縮を、チラつかせながら。彼女たちを脅すのだろう。

そして、お客、店の外で待ちあわせを約束したものは、
1時間程度ぐらいが、認められているらしい。
その際、ちいママに、誰とというような、事前報告はする。
店から宿舎に戻って、すでに、2時30分くらい、そこで、何人かが順番待ちでシャワーし、

朝4時過ぎに、ベッドの中という。
そして、パスポートは、日本に来た時に、すでに、取り上げられている。
逃げ出さないようにだ。事実上の軟禁状態なのだ。

朝の5時近くには、「インパクト」の場合は、雇われの店長が、
ピナたちが、ちゃんといるかを、
宿舎になっているマンションで、人数確認めいたことをするという。

ピナたちが、目覚めるのは昼前後。

朝の食事は、当番が作る。一週間、一人1000円が徴収されて、
近くのスーパーで、料理食材を買う。

「志村けん」のバカ殿などを見るのが好きらしい。
分かり易いからだ。

特に、
彼女たちは、「アイーン」のアクションが好きだ。

14時ないし15時頃から夕方にかけて、営業の「キテ、キテ」コールを掛けまくる。
夕飯は、喰わない。空腹でいることを強いられているので。

18時頃には、店に入る。化粧も当然するだろう。

私は、この街を歩いているとき、遠くから、「マッチャン!」と私を呼ぶ声に気づいた。
彼女ではない。別のピナで、フィリピーナが、これから、
店に入るため。階段の途中で、私に気づき声かけられたのだ。

「マッチャン」の声かけには、私を呼ぶ意味もあり、
彼女に「ほら、マッチャンだよ」という意味もあったようだ。

私を遠くから、手を差し伸べて、「ほら、あそこに」と、彼女に教えていた。
彼女は、私がどのあたりにいるのか。首を伸ばして、私を探しているのが見えた。

私は、一瞬、ヤバイ!と思った。しかし、すぐに思い返して、軽く手を振った。

店は、19時からオープンだ。

「あー、この日もいくことになってしまった」

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