フィリピン・パブ通いの「カモ」 #07

フィリピン・パブ

2005年頃の世の中は、Webがいよいよ盛んになっていた。
世界は、Yahooやgoogleを中心に動いているようにさえ感じた。

誰もがYahooやgoogleの名前を一度は聞いたことがあるという意味で、
知るようになっていた。
それは、
何か新しい時代の始まりを強く感じる時代でもあった。

どんなに強大に見えても、力関係は、すぐに逆転するのが、
これからの時代の特徴でもあった。

ブラウザのNetscape主流が、Internet Explorerに変わったように、
YahooよりGoogleにとって代わるのも、あっという間に、それは起きた。
目まぐるしく世界が変わる。

私が、1995年代に足繁く通ったPCであふれていた秋葉原も、
すぐに私にはちょっと馴染めない
「フィギュア」や「アニメオタク」「メイド」などの世界に変わった。

そして、私も、フリーのプロデューサーS氏と、一度は、
会社を興そうというところまで行ったが、

結局、頓挫した。内容があまりにくだらないので、ここでは、その仔細をスルーしたい。

ただ彼からは、必要以上に酒の接待を受けたのは、申し訳なく思っている。
それが、当時でも重荷だった。
私が、「今日は割り勘にしましょう」と提案しても、

彼はいつも、自分持ちでいいと、さっさと勘定してしまうのだった。
正直言えば、私自身は、フィリピンパブ通いをしていたので、

ここでも、別に、金を使うことには、
消極的な部分もあった。彼が、勘定書きを手にすれば、
私は、それを無理を押してまで、正直、金を払おうとは出来なかったのだ。

こうした部分もありながら、毎日が、続いていく。

彼女からの店に「キテ、キテ」コールに、押される日々が続く。

そんな彼女にも、順調に売上げを上げて、その上での帰国が、近づいている。

私が、彼女を指名し、店に、ほぼ毎日のように通うことは、
店としては、大歓迎だ。

ちいママも、「イラッサイ・マセー」の声が高らかになる。
客待ちの女の子たちも、「エー、マタキタ」とやり手の彼女を仰ぎ見る。
一方、私を店に呼びつけた
彼女も、私を見て「ホッ」とした表情だ。

こういう私の姿を、フィリピン・パブ通いの男たちからは、
自嘲気味に、「カモ」と呼んでいた。私自身もそれを、自認していた。

頭の中の目算で「今日の売上げ」のノルマを、一応、確保できたという
気持ちでいたのだろうと思う。

私は、私でこんなことになるとは思っていなかった。

最初は、彼女たちのへの同情が優先していたが、少しずつ、彼女への思いも、
こうした苦境とともに、芽生え増大しつつあった。

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