フィリピン☆彼女の切ない営業コール #06

フィリピン・パブ

彼女の営業コール
「ナンデ コナイ?」
このひどく雑な日本語のニュアンスからも、
彼女が追いこまれているだなという感じが読み取れるものがある。

と同時に、
平日のこの店の営業は、客数が少ない。そのことから、
私自身の仕事の減少との関連で経済的な苦しさとともに比例して、
店側の経営についても、容易に想像もつくようになった。

彼女との会話で、
「ヨル、ミーティングアル。シャチョウサン(店のオーナー)、オコル」

そんなこんなが分かる度に、
次第に、彼女の営業の電話を受けると、やはり断り切れないでいる。
そんなことに同情して、
バカだと言われても、私は、そういう情緒を育んでしまっている。

結局、出向いてしまうのが、私の弱さだった。
冷たくあしらえなかった。

その頃、私は、フリーで映像の仕事を、少しばかりやっていたが。
それは、年に数回程度。しかし、
とてもそれだけでやっていけるような状態ではなかった。
もちろん、PUB(フィリピン・パブ)通いがなくても、
今後を見据えれば、脆弱な経済状態について危機感を感じていた。

「(私自身の経済的事情を)何とかしなければ…」
その思いは常にあった。

そこで、
以前から独学でやっていた勉強のおかげでPC操作は、
ありがたいことに、ある程度熟達していた。

Webの制作の仕事も、知人を通じて、少しは依頼があった。そして、
比較的、運が良かったのは、かつてS町にあった教育新聞の
Web制作や更新などの仕事を、レギュラーで請け負い、
何とか生活を食いつないでいた。

また、映像の仕事でも、ある出版関係のプロデューサーからも、
多少の声が掛かった。
さらに言えば、母が残してくれたわずかばかりの金もあったが。
それは、どんどん目減りしていった。もう底をつくようなレベルになっていた。

そんなわけで、
総じて言えば時間的に自由な立場にありながら、多少の浪費もできた。
とはいえ、その先が、すぐそこに見えていた。

連日、彼女の居る店に行くのは、

どう考えても、経済的に成り立たない。持たない。

「(フィリピン・パブ通いを辞めようと)何とかしなければ…」

しかし、
彼女からの営業電話があるものの。断ると、どこか、胸の奥に苦しさを感じる。
それでも、数日空ける日もあった。

「何とかしなければ…」やはり、考える。その何とかの展望がない。

そう思っていると、どちらからともなく。
知人のプロデューサーSと会うことになる。

以前、競合企画のプレゼン用の仕事をくれた人物だ。彼と、新橋の居酒屋でWebと映像の今後について、

持論を語るうちに、彼の気持ちを動かし。
女性向けWebサイトを立ち上げ、ビジネスしていこうということになった。
このころは、コンピュータの2000年問題への社会的な不安と
まさにインターネット元年がすでに開けて、すでに、百花繚乱のごとく、
ホームページがポンポンと立ち上がっていた。
そういう触発を受けて、
知人のプロデューサーS氏も、いま動き出さなくてはという焦りがあったのだと思う。

Sからは、よく誘いの電話があり、毎日のように、会うことになった。
新橋の居酒屋が多かった。その時は、いつも酒が介在する。

彼も、やはりフリーのプロデューサーだったが、やはり先が見え不安だったのだろう。
何とかしなければという思いが、私と共通したのだ。

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