彼女が、2度目の「インパクト」のお勤めに成功して、
ほぼ毎日のような私の日参が続いた。そして、
この頃から、「インパクト」内でのショータイムがなくなったように思う。
いま思い出すと、そうだ。
その代わり、
常時、カラオケタイムに変わった感じだった。
以前と比べて、客も目減りしている。
私が一人で行くときは、行く時間が少し早いということもあるが。
私だけのときもあった。私と彼女が、ちんまりとして一角のテーブルをとると、
彼女が接待をする。
出入り口に近い席では、客待ちの女の子が3-4名、固まって、
ヒソヒソやっているのが見える。
実際には、女の子たちは、他に5-6名はいる。どこにいるかというと、
厨房の裏の控えにいるのだ。
そこでは、
タバコを吸うピナや休憩しているピナもいるが。
一方で、客にもらった名刺などを取り出して、「キテ、キテ」コールをし、
営業の電話をしている娘もいる。
彼女らの甲斐あって、私が帰るころには、2-3の客席でテーブルが埋まる。
そんな状態が印象として普通になった。
「カモな私」が居るおかげで、彼女は、少しは楽だったろう。
最低限、日々の売上は、クリアしていたに違いない。
だとしても、
彼女は彼女なりに、やはり他のピナに対して、気を遣わざるを得ない。
私のテーブルには、ちいママの声掛けで、
時折り、ヘルプで、ほとんど指名のないピナが、彼女と一緒に座ることもあった。
そんなとき、「ビール・イイデスカ」と、「オツマミ、ドウデスカ」
と、尋ねられた後、
彼女から、別のおねだりもあったりする。
差し入れのおねだりだ。
彼女は、照り焼きハンバーガーが好きだった。
いますぐ、買ってきてほしいという。
そこで、
店から、飛び出して、近くに買いに行く。
当然、彼女の分だけという訳には行かない。
他のピナたちにも分け与えるため、人数分まで、ではないとしても、
複数個のハンバーグを買ってくる。有難いことに、
当時は、「マクドナルド」が安かった。100円バーガーがあったからだ。
これで、私の財布は、そんなには打撃にはならなかった。
しかも、空きっ腹なピナたちからは、とても喜ばれた。感謝もされた。
ハンバーガーだけでなく、ミスタードーナツだったりすることもある。
あるときは、近くのお惣菜屋から、コロッケやメンチなども
差し入れた。
私は、「常連としての権限」が認められているのか。
このような店にとっては不利益な行為が、
お咎めなしなのだ。ちいママも何も言わない。
店に来る前に買ってくることもあるが、店の客として来ているのに、
「イマ、カッテキテ~!」と、
彼女からおねだり攻撃にあうことがある。已むを得ず。
店を飛び出す。この近くは、商店街だ。
「ファスト・フード」は、ほとんどある。調達に苦労はしない。
前に書いたが、この店のフィリピーナたちは、店に入店する前に、
食事を抜いてこないといけない。そういう規則(契約)になっているという。
くり返しになるが。
彼女らがお腹が空いていれば、客に、食べ物の注文をさせて、
そこで、初めて客から、少しツマませて貰い、空きっ腹を埋めるという。
そのことで、店としての売上げ効果の狙いがあるからだ。
だから、彼女らは、原則、飲み物を必ずおねだりし、
さらに、店のツマミや食べ物は「ドウデスカ。ナンニシマスカ?」と聞いてくる。
彼女が、客のいない他のピナたちに気を遣っているのだなと、理解したのは、
彼女は、あまり差し入れを口にしないからだ。私に特別注文したときは、
当然食べるが。誰かに、半分小分けにしていることもある。
客としてきているのに、こんな差し入れをするのは、バカだという方も当然いるだろう。
それは正しい。その意見を否定しない。
だが、こういうホステスの居る世界に遊びに来るなら。
気遣いができないと、絶対にモテない。
また、それを嫌うなら、
こういう世界に来るのは辞めた方がいい。向いていない。
私はいつもそう思う。
また指名の相手だけが良い思いをすればいいというだけの、
ケチな考えをするのは、男の風上には置けない。「風下にイケ!」だ。
しかも、女性たちを小ばかにするような態度は、決してあってはならない。
私は、バカだと思われるだろう。その通りだ。その通りだと自分でも思う。
だが、それでいい。だとしても、彼女らから、学ぶことは大きいのだ。
古い映画だが。ソ連とイタリアの合作映画で、「黒い瞳」という映画があった。
とても、すばらしい映画だ。故マルチェロ・マストロヤンニが主演の映画で。
近代ヨーロッパの有産階級のショーモナイ男が落ちぶれるまでのW不倫の浮気話だ。
この中で、マルチェロ扮する男のショーモナサが、なんともカッコいいのだ。
その1シーンを、紹介しておこう。
主演のマルチェロが、湯治のため、ロシアの田舎町に行く。
日頃、イタリアにいる強い奥さんにはまるで頭が上がらない。
その不満があるダラシのない役どころの男だが。
ある日、ロシアの貴婦人と湯治場で出会う。
その二人が、ある湯治場の庭園の池の前で、初めて出会う。
そのシーンが、あまりに美しく印象的で素晴らしいのだ。
マルチェロ扮する役どころは、実は、文字通り男の風上なのだ。
そのロシアの貴婦人は、大きな帽子を被っている。
帽子の下には、悲しいほどの美しさがつつましく輝いている。
まるで、この世界は、ボーボワールの画のような世界だ。
いや、印象派で知られる画家モネの「日傘の女」を連想してもいい。
実際、「日傘の女」イメージは、映画の登場人物の貴婦人の姿に影響を与えているらしい。
そこにフワ―ッと風が吹くと、貴婦人の帽子が、泥の池の真ん中に落ちる。
困惑する女性を見ていたマルチェロ演じる役柄の男が、おもむろに、
池に中へ。
しかも、白い上下のスーツのまま、ズブズブと入っていって
胸まで泥水に漬かりながら、帽子を取りに行く。そして、
代償を求めず、その貴婦人に恭しく手渡すのだ。
それを機に、二人は親密になり、関係を持ってしまう。彼女は、夫に愛されていないと、
どちらかといえば、年の離れた富豪に買われて、結婚させれたと身の上話をする。
彼女の悲しいほどの美しさの理由がそこにあることが分かる。
映画はとても美しく、丁寧に作られており、大変、ロマンティックな作品だ。
かつて、大学時代に、小さなローカルな街の場末の映画館にまで出向いて、
たくさんの映画を貪り観た私の1位だと言ってもいい。
私は、そのマルチェロ・マストロヤンニが扮した男の様が好きだ。
その後、多大な影響を受けた。告白しておこう。