何日のことだったか。春先か。私の親愛なる友人と会った時に、こんなことを言っていた。
その方も「ザ・シークレット」 (ロンダ・バーン (著), 山川 紘矢 (翻訳), 山川 亜希子 (翻訳), 佐野 美代子 (翻訳) 角川書店) を持っている。私が、かつて紹介したのだ。
友人は、その本を適当にパッと開いた箇所のキーワードに注目しているという。
その話は、何かで読んだ気がしたが、友人はそれを実行しているようだった。
いま私も、それは時々、このブログを書くときに、試している。
今朝、開いた箇所は、p190とp191の両開きだ。
なぜか、ここは、これまでも頻繁に、ここが開かれる。
そして、p191に赤いラインを二重に引いた箇所がある。
その文言を引用しよう。
「自分が望むものを引き寄せるのは、自分自身の責任です。」
(ロンダ・バーン (著), 山川 紘矢 (翻訳), 山川 亜希子 (翻訳), 佐野 美代子 (翻訳) 角川書店)
という箇所がそれだ。
このラインを引いた言葉だけは、少なくとも10回以上は、見ている。
私は、この数日書いてきたブログの記事と関連付して、
この言葉が、改めて「そうだな…」と思わされた。
私が、
何度も、この言葉を見かけたのは、きっと、
私に「気づけ」と内なる声が言っていたのかもしれない…。
もちろん、私は、私なりに望んでいるものがあり、望んでいる状態もある。
それを意識していたはずなのだが、
実際は、
「足りないという思いの状況」が、さまざまに押し寄せてきたことに、
さすがにイライラしたのだ。
「なぜ…?なんだ。」
ブログを書きながら、私自身の心の中をほんの少し、 垣間見ることができた。
望む豊かな状態をイメージしながら、一方で、実は、不足しているか、未払いの現在のお金の支払いなどについて、あれこれ考え計算し、算段している。
それだけではない。結果、収入に対して、再び、不足になるかも…と、不安を抱いているという悪循環をくり返しているのだ。そのことが、切なさとともに、支払いができなかったら「どうしよう…」という思いで、
私の豊かさを望むイメージを、ヤクザよろしく、揺すっており、私は、それを恐れていたのだ。
それが、まずいことは、よく知っている。だが、日常では、なかなか平静を保ちながら、
その気持ちを手放すことは難しい。
でも、そをどう手放すかは、やはり、自分自身の責任に掛っている。
ふと、「ザ・シークレット」の中のボブ・プロクター氏の言葉が、
頭の中を駆け巡る。
「多くの人々は借金の返済を目標にしますが、そうすると永遠に借金を抱え続けます。
あなたが今何を考えていようと、考えていることを引き寄せるからです。」
さらに、加えて借金を減らしたいなら、と次のように述べている。
「あなたが、借金のことを考えていれば、それを引き寄せてしまうのです。
債務の自動返済プログラムでも設定して、今は、豊かであることに焦点を
合わせてください。」
(ロンダ・バーン (著), 山川 紘矢 (翻訳), 山川 亜希子 (翻訳), 佐野 美代子 (翻訳) 角川書店)
私は、この引用を書きながら、私の中で、このメッセージの「債務の自動返済プログラムでも設定して」の意味が、これまでずっと、すっきりせず、いま一つ、理解しにくかったが。
今日それを、とことん理解した。
というのも、先の引用中の
「(むしろ)」は、私があえて付け加えたものだが。
これによって、「債務の自動返済プログラムでも設定して」の意味、
ボブ氏の伝えたかった意味の真意がようやくわかったのだ。
もちろん、私は、単に言葉尻を捉えて、分かる、分からないを問題にしているのではない。
ボブ氏が、それを言った心情が、一つの洒落なのか、方法論的なイメージとしてなのか。
そのどちらに触れているのか。その意味合いが、いまひとつ掴めきれなかった。
国語の解釈と鑑賞みたいなことを言って申し訳ないが…。
全体の意味との関連で、真意を掴みかね理解しづらかったのだ。
しかし、いま、ようやく判断できた。適切な言い方ではないが。
ボブ氏の表現は、一つの言葉の「遊び」の「洒落」的要素で言っていたのだと確信した。
ということだ。
真意は、借金について一切考えるなという意味だと理解した。
なぜ、このことに注目しているかというと、
私は、最近、あるイメージング(スライド)をしていた。それが実現するようにだ。
そのイメージングは、恥ずかしいが、恥を晒してでも、きちんと述べよう。
例えば、それなりに高額のお金を手に入れたとしよう。
私は、その際、すでに手に入れたお金で、
借金返済の一部に当てることを目的のイメージにしていたのだ。
それを有る意味主目的にしていた。
そのイメージングは、10日間くらいのことだが。
それは、良くないイメージングであることに気づいた。そのイメージの方法は、
間違えていたのだ。借金は返すとしても、結局、「借金にフォーカスする」ことは、
一切、考えては、いけないのだ。
純然と豊かな状態にあることをイメージしなければいけなかったのだと理解した。
私は、こんな恥部を晒しながら、書きながら、おかげで、何か掴めた。
このブログ。そして皆さんに見ていただいていることに感謝したい。
ありがとうございます。