古くて、もっとも新しい概念がある。
多くの人々が、そのことに気づけば、私たちは誰もがもっと幸せになれるのだが。
その概念とは、
ジョセフ・マーフィー博士の言葉だ。
「私たちに唯一できることは、心の中で目的を想像し、受け入れることです。
そして、自分の内側にある智恵にその展開を委ねるのです。」
(「宇宙はあなたの祈りに従う」ジョセフ・マーフィー[著]
奥野節子[訳] ダイヤモンド社)
の言葉だ。
願望実現の法則に、私たちは、本来がんばる必要がないようにできている。
ところが、私たちの心の働きから全体からすれば、ほんのわずかな領域の理性が納得しないのだ。
「ザ・シークレット」を読まれたことがある方なら、もう一度思い出すべきだ。あるいは、その箇所を見開いてみるべきだ。願望実現の法則について、ボブ・プロクター氏がどう言っているかを確認してみるといいだろう。
「理解できないからという理由で、その法則を拒否すべきだということはありません。
電気を理解できなくても、それを使いこなすことはできます。私たちは電気が
どのような仕組みで働くかは知りません。」
(「ザ・シークレット」ロンダ・バーン[著] 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳]
角川書店 p45より引用)
この後、その電気について、
DVD版「ザ・シークレット」では、ボブ氏が、かなり過激な言い方をしているが、
それはここでは省きたい。ただボブ氏の言うように、私たちが電気の何たるかをほとんど知らなくても、スィッチひとつで、私たちは電気のある便利な生活をしている。
電気代が払えず止められていれば別だが、基本的に電気のあるおかげでそれなりに便利な生活をしている。そこは、なぜ理性は、電気についてスルーしているのだろう。電気の仕組みについて、ボブ氏の言うように十分に理解はしていないはずなのに。
同じように、鉄の塊である飛行機が空を飛ぶ。あるいは、豪華客船など。
もちろん科学的に、ベルヌーイの法則や推進力・揚力、あるいは、
浮力といったもののおかげで、空を飛んでいる。船で航行できる。
だが、科学に弱い者からすると、いまひとつ不思議に思いつつも。時に、都合よく、それをさほど気にもせず、飛行機や船を利用している。私も、何度か飛行機に乗っているが、都度、疑問に思うこともあるが。それでも概ね、事実、飛んでいるんだからで。
「便利だからいいか…」で済ませている。
いつかその事実の積み重ねの中で納得し、
その原理はどうでもよくなっている事実がある。
私たちの理性は、案外、いい加減なのだ。ところが口うるさい面もある。
すなわち、
金はケチって出さないが、やたら注文の多い広告主と同じなのだ。
そんな仕事は、かならずロクでもないことになるが。
その話は、どんどん脇に反れるので、これ以上、続けないことにしよう。
私たちの理性は、望む願望実現のその時においては、実現を遅らせたり、
あるいは実現を阻む要因になる場合があるということだ。
その場合に理性は何を考えているかというと、
「そんなの実現できっこない」というそれにほぼ近い周辺の考え方が、まず基本にあって。
次に、それがどう実現されるのか、その方法について制約と常識でガチガチにしか考えが及ばない理性には、それが分からない。だから、やきもきするのだ。
しかし、願望実現を可能にする潜在意識にとって、
理性の働きがあれこれ心配し右往左往するのは、実は目障りなことこの上ないのだ。
冒頭のマーフィー博士の言葉に戻るが、
私たちのすべきことは、ありがたいことに、
まったく多くないし、大して、負担にもならないことだけなのだ。
マーフィー博士が言うように
「自分の内側にある智恵にその展開を委ねるのです。」
(前出「宇宙はあなたの祈りに従う」より引用)
たったこれだけなのだ。
ジョー・ビタリー博士も次のように言う。
「それがどのように起こるのかは、知る必要はありません。宇宙がそれを
どうアレンジし直すのかを知る必要はないのです。」
(前出「ザ・シークレット」より引用)
と。さらに、ロンダ・バーン氏も、同著書で、
「それがどのようにして起こるか、どのようにして宇宙がそれを実現してくれるかのか、
あなたが気にかけたり、心配する必要はありません。
それは前面的に宇宙に任せましょう。」
(前出「ザ・シークレット」より引用)
と述べている。
電気について、私たちが知らなくても、生活に支障はないことは、誰もが知るとおりだ。
電気に詳しい人が何とかしてくれているのだ。
鉄の塊の飛行機が、なぜ飛ぶのかを納得できなくても、私たちは、飛行機に乗っている。
私たちは、あえて宇宙の法則についてだけ、急に、厳密になる必要はない。
そういう働きがあることだけを知っていればいいのだ。