今朝、改めて「選択」について考えてみた。
トランサーフィン・シリーズのヴァジム・ゼランド氏は言う。
私たちは、いま居る人生ライン上のどんなシナリオにも変更を求めたりできない。したがって、いま居る人生ラインに不平や不満などの文句を言うことは決して適切でないと言う。
その代わり、私たちには許されていることがあって、
それは数多ある人生ラインから自分の望むものを改めて選択し、
移動することが唯一、可能だとしている点がある。
別言すれば、私たちに許されているのは、選択する自由と権利が保証されているということに尽きると言っていい。
そして、「選択する自由と権利」が保証されているという事実を思うとき、
私たちはとんでもなく大きなものを手にしているのだと思わされるが。
一方で、私たちは、その「選択」の行使の仕方が、案外うまくできないところにイラ立ちを覚えてしまうのだ。
”人生ラインとは”については、これまでに当サイトの過去ログの中で数回触れいている。
関心があれば、ブログ内検索で、調べていただきたい。都度、その説明をしていると本線が脇道を反れ、何を伝えるべきかを見失うおそれがあるので、あえて省略させていただく。
本題に戻すと、
そのイラ立ちの多くは、物理的現実世界が、遅れて作用する鏡のようなものだということへの理解であり。また私たちが心の拠り所としているのは、制約だらけでガチガチな判断しかできない「外なる心=理性」の判断にかなりの信頼を寄せているところにあるように思う。
私は古い書籍のひとつ「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社)を、手にしていた。
常に、原点に戻り、何かを見出したいと思うときは、自然に手にしている。
何か、見落としがないのか。
私は、若干の書き込みや線だらけの本を見直してみる。
そして、
本を手にしたとき、何気なくパッと開いたページに重きを置いている。
その何気ない見開きにこそ、意味があることを常に直感しているからだ。
私の今の思いに対する答えか、
もしくは答えに近いもののヒントなりに導いてくれると信じているからだ。
さらに言えば、「マスターの教え」を手にしたのも、
決して単なる偶然なのではないと思っている。
内なる要請なのだと。
そしてたった今、
ほんとに成り行き任せに開いたページは、ページの途中などでなく、
《第13章 貧乏はこの世で最大の罪悪です。》の項目の文字通り最初のページを開いていた。
私の神経は、いまこの瞬間かなりピリピリと研ぎ澄まされていたので、
このページを開いた直後、期待どおりにすぐに私の求めているものが、
関連づけられるようにビビッと来た。
《貧乏はこの世で最大の罪悪です。》
(前出「マスターの教え」より引用)
のこの言葉には、重要なニュアンスが含まれていると感じとった。
まさに、貧乏は、私たちの誤った選択の結果だからなのだと思ったことだ。
早まって受け取らないでほしい。
スピリチュアルな角度からあえて言わせてもらえば、私たちは、私たちの都合と事情で、どのような状態、境遇、環境を事前に予定調和の下で、選択して生まれてきている。だから、生まれながらに大金持ちだったり、あるいは真逆に極貧に喘えぐ家族のもとで生まれるべくして生まれてきている。
そのことを直接さしていっているのではない。生まれながらの
その差がなぜ必要なのか。おそらくそれは多様性のためだろう…と思う。
いろんな解釈も捉え方も言い方もできるが、それを尊重しつつ、私は、独自のある角度から、
あえて言おうと思う。
ついては、このブログの冒頭、
「『選択する自由と権利』が保証されているという事実を思うとき、
私たちはとんでもなく大きなものを手にしているのだと思わされる」
と書かせていただいた。
この事実がある以上、
私たちは、どのような状況、状態にあっても、その原則を真に活用することができれば、本来であれば簡単に自分の置かれている状況・状態を変えることができる。
その意味で、私たちがこの世に生まれでたスタートでの状況・状態などに過度な意義をもたらす必要などないと思っている。むしろそれに囚われれば、私たちはネガティブなスパイラルに陥る可能性があるのだ。
「マスターの教え」に重要な教えがある。
「普通の人々は人生を表層的な部分だけで生きており、自分の中に存在する偉大な力に
気がついていません。彼らは自分のささやかな信頼を『外なる心』によせてしまい、
そこからの誤った情報に支配されてしまいます。その結果、彼らは混乱し、争い、
緊張の嵐の中にいます。」
(前出「マスターの教え」p94より引用)
と記述がある。
この中の「自分の中に存在する偉大な力に気がついていません。」とは、表面的に理解をするなら、潜在意識のことだとすぐにわかる。
だが、私は、今日、この本の中から、新たに見出したものがあり、そこに示唆による仄めかしがあるのだと気づいたのだ。
潜在意識を正しい「選択」によって、活かしていくことの大切さだ。
前述の引用は、選択そのものの誤りがもたらす結果としての混乱をもの語っている。
そう思えないだろうか。
当該著書には、ズバリ私たちの権利としての選択について次のように語られている箇所がある。
「欲するものすべて、しかも限りなく手に入れることは、あなたが天から受けついだ
運命であり、生まれつき持っている権利です。」
(前出「マスターの教え」p95より引用)
と。さらに、
「あなたがほしいと思うものは、あなたが用い、
あなたが楽しむためにここにあります。」
(前出「マスターの教え」p95より引用 )
とまで、すべては選択に委ねられるもののだと詳細を追っている。
では、その選択は、どのような場合に活かすべきか。
「次のことに注意を喚起したい。あばたが腹立たしい状況に出くわし、怒りや不満など
ネガティブな感情で反応した時には、そうしたネガティブな気分の状況が持続したり、
一層悪化したり、または更なる不快な状況が新たに出現するはずである。」
(「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)
とある。ここなのだ。こうした状況こそが、
「今、ここ」からのチャンスなのだ。人生の分かれ道なのだ。
あなたが、ネガティブな道を行くのか、ポジティブな道を選択するのか。その重要なポイントになっているということに気づくべきなのだ。
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